底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

許せないってなんぞ

許せないってなんぞ

「許せない!」そう誰かのことを思う時、それは何ができないということなのだろうか。許す許せないは当然ながら目に見える行為ではない。また何か特定の態度や言動に現れるわけでもない。目の前の人を心では許せないと強く感じていたとて、人は依然としてその人に笑顔で話しかけることができる。笑顔が本物であるか偽物であるかはここではどうでもいい。大事なのは誰かを許せないと思うことと、その誰かに対する態度や言動とを完全に切り離せることにある。つまり許す許せないというのは動詞ではなく、自分の心の状態を形容するための言葉なのである。意志によって許そうと思えば必ず許せるようになる訳ではないし、逆にいくら許せないと思っていても時には簡単に許してしまうのが何よりの証拠だろう。許す許せないは「信じる」と同じで自分のコントロール下にはないのである。

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許せないってなんぞ

では具体的に許せないとはどんな心の状態なのであろうか。それを紐解くにはまずどんな時に人は許せないという感情をもつのかを考えた方が良いだろう。約束を破られたとき、暴言を吐かれたり馬鹿にされたとき、自分の大切なものを壊されたとき、ただの道具として利用されたときなどだろうか。これらに共通することは「自分を軽く扱われた」ということであろう。生き物である限り誰しも自分が一番大事である。その大事さを相手が大事にしてくれなかった。許せない心の状態とはその理不尽に対する怒りの感情と言えるのかもしれない。自分に対する相手の態度が軽いという認識が人に許せないという思いを抱かせるのだろう。




許せないってなんぞ

しかしここでやはり最初の疑問に戻るが、許せないとは結局何ができないということなのだろう。そもそもなぜ許す必要があるのか。それは他でもない自分が楽になりたいからであろう。人を許せない心の状態が怒りであるなら、それは言わずもがなストレスである。そのストレスから解放されたいがために人は人を許したい。許したいのに自分の心理状態をどうにもできないから「許せない!」と叫ぶことによって相手にどうにかしてほしいと助けを乞うているのだろう。つまり「許せない!」とは自分で怒りを収められないということなのではないか。




許せないってなんぞ......

振り返ると、ここ何年か人のことを許す許せないの基準で測った覚えが全然ない。単に記憶力がすこぶる悪いという可能性もあるが、たぶん一番大きな要因は誰とも深いお付き合いをしていないことにある。私にはそもそも誰かのことを許す許せないと言える資格さえないようだ。ふ~さみしい人生。

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