今週のお題「好きなお茶」
また来たよ好きな〇〇シリーズ…
最近良かったと思ったのに
爆発やサボりといった抽象的概念がお題になる時代がついに来た!と思ったのもつかの間、またまた好きな〇〇シリーズが来てしまった。毎回私は「好きな〇〇」の「好き」に突っかかっては、「〇〇」の方をおろそかにしているのだが、仕方ないであろう。だって、〇〇の方を答えるのは名詞ひとつで終わってしまうもの。そんな一単語だけ書いてなんの面白みがあるって言うんだ。
人の好きなお茶を知ってどうするの?
そもそも他人の「好き」とかそんなに気になるものだろうか。しかも今週は好きなお茶。他人の好きなお茶を知ってどうしろというのだ。私の好きなお茶を他人に知ってもらってどうなるというのだ。私には他人の好きなお茶を知りたいという欲求もなければ、他人に自分の好きなお茶を知ってもらいたいなんて欲求も持ち合わせていない。生粋のお茶オタクのために用意されたお題だろこれ。
有難いだけ
私にとって好きなお茶とは即ち、よく飲むお茶であって、それ以上の意味は何もない。他人に勧めたくもならないし、他人がそのお茶をまずいと言っていてもどうでもいいし、そのお茶が飲めなくなったらただ無感情に他のお茶を買うだけである。食べ物や飲み物に関する好きなんて、私にはそのくらいの熱量しかない。だからもちろん自分の飲食の好みをテーマに記事を書きたいと思ったことも一度もない。お題で出されなければ、こんな話をする機会は一生なかったと思う。そう考えれば有難いな。有難いだけで、ありがたくはないけどな。
ごめんなさい
なんだか「今週のお題」にケチをつけることが恒例化している気がするが、それはお題が悪……いや、私の性格が悪いですね、ごめんなさい。単にお題の記事を書かなければそれで済む話ですもんね。ブログのネタを週に一回は自分で考えなくてもいいという楽をしたいがために、お題に手を出していることをここに白状します。楽に手を染めるといいことありませんね。結局振り回されて、余計時間と労力がかかっている。その上、記事としてのクオリティも低いし、文章の出来もあまりよくない(これはいつものことだけど)。
ね?こんな話つまんないでしょ?
さんざんもったいつけてしまったが、私の好きなお茶はミルクティーである。特に冬に自動販売機で買うホットの紅茶花伝は至高である。両手でペットボトルを握りしめ指先をひたすら温めてから、栓をあけ控えめにひと口、舌でよく味わってから、その後ぐびぐびと喉に流し込む。口の中は上品に甘く、身体はぽっかぽかになる。くーーーたまんねぇぜ。
どうですか?この話需要ありました…?