底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生を賭けられるほどの何かが欲しい

私にも分からない

これだけ書いてきて、と言うにはまだ少ない数かもしれないが、それでも百記事あまりは書いてきたわけで、それなのにこの手ごたえのなさは一体なんだろうか。記事の出来も自己評価では悪くないし、書くこと自体も楽しいのだけど、なんというか全体的にふわふわしている感じがする。もし今「で?結局のところあなたは何が言いたいの?」と問われたら、きっと私は答えに窮するに違いない。

 

 

全部テキトー

人生に対して私は永遠に迷い続けている。明確なスタンスを持てないでいる。自分にとってこれは絶対に正しい!とか、生きている限りずっとこれをやり続ける!とか、このマイルールだけは死守する!といったようなことが全然ないのである。このブログとて突き詰めれば、ただなんとなくでやっているに過ぎない。なんとなくで続いてきたから、なんとなくこれからも続けていきたい、そうぼんやり考えているだけである。

 

 

人生を賭けられるほどの何かが欲しい

書くことも考えること読むことも、その都度の自分の気分や必要性に駆られてただ受動的に行っているのである。私はいつも私の奴隷として働いているだけであり、人生に対してなんら強い意志を持っていない。だが、これは別に一つの生き方であるし、否定される謂れもないように思う。たった一つにして最大の問題は、私が「それではよくない」と思っていることである。自分自身が人生において何か一貫した態度を欲しているのだ。「自分の人生=○○」と言えるような何ものかを手に入れたい。それだけに自分の人生の全てを捧げても後悔しないと言い切れるような何ものかに出会いたい。「どうせ死ぬ」ということをこのブログにおいて散々書いてきたが、今思えばそれは結局自分に言い聞かせるための言葉であったのかもしれない。何かに一生を賭けてもどうせ死ぬのだから虚しいであろう?だからそうある人を羨まなくていいのよ、と自分を説得したかっただけなのだろう。

 

 

自分しか勝たん

自分の人生には何もない、そう言うにはあまりに恵まれている。だが「これがある!」とはっきり言えるような何かは事実としてない。漠然としたものが五、六個輪郭を持たずに自分の中でぷかぷか浮いては深く沈んだりしてを繰り返す、それが私の人生である。何か一つのことに固執しひたすら追い求め、突き詰められる人を羨ましく思う。所詮私は自分しか大事でないし、「自分の人生=自分の人生」のようなトートロジーを展開するしか能がない。「これから先、人生でできることは一つだけだ!さぁ選べ!」と言われたら、私はきっと「私であること」を迷わず選ぶだろうな。

 

 

で?結局のところあなたは何が言いたいの?

知りません。

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