底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

今年もやることは変わらないなという話

よかったよかった

shikouzakki.hatenablog.com

復活しましたーーー!!イェーーーイ!!!よかった。本当によかった。すっかり回復して、むしろ元気もりもりになりました。昨日まではトイレに起き上がるのも大変だったのに、人間の身体ってすげー。ようわからんうちにようわからん仕組みで全部が元通り。頭も昨日までの痛みが嘘だったかのように澄み渡っている。だからと言って、とくに何も考えていませんが…。まぁまぁ今日くらいは体調の悪さを乗り切った自分へのご褒美として、何もしなくてもいいでしょう。ともあれ、これで新生活へは無事に踏み出せそうだ。順調に色々な手続きを進められることでしょう。

 

 

過言ではないではない

復活して私が最初にやったこと、それはこのブログの執筆である。いやどんだけ好きなんやろ。それとも他にやることがなさすぎるのか。うーん、たぶんどっちもあるな。だって、このブログってもうほぼほぼ私なんだもん。私の一部という言い方では既に収まらないくらい、あまりに多く私の本質が刻まれている。今や私はこのブログを更新するためにこそ生きてるのだと言っても過言ではない。…というのはまぁ少し言い過ぎかもしれない。が、それでも私の人生を大きく占めているのは間違いない。そして、他にやることがないのも自らに人生をシンプルにしてきた結果だと思っている。人生において私のやるべきこと、やりたいことはただ一つ。それは何度も書いていることだが、死に備えることである。死の備えになるならやる、ならないならやらない。そんな基準で生活をより分け、今は備えになることだけをやっているつもりだ。だから、嫌でもやることは限られてくる。

 

 

これは意地の戦い

死に備えるとは、これも何度も書いて来たが、つまりは後悔や未練を残さないことだ。もちろん完全に残さないのは無理であると知っている。だがだからこそ、できるだけ残さないように私は努めなくてはいけない。それは自分を知り、人生を知り、世界を知っていくことによってと同時に、自分の気分を保ち、自分の望みを叶え、自分の思う人生を歩んでいくことによって成される。私はどこまでも死が怖いのだ。死がとことん分からなくて怖い。死んだらそれでお終いなのだということが怖い。それにどうして死ななきゃいけないんだと思う怒りのようなものもある。生まれるも死ぬも一方的に決められているなんて、あまりに不条理じゃないか。だからその不条理に負けたくないと思う。死なないことができないのなら、せめて「死ぬことで私は何も失わなかったぞざまぁ!!」と言ってやりたい。本当は私はそのためにこそ生きている。こっちは少しも言い過ぎではない。

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