底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

今分かるものだけを選択肢にする

迷いと悩み

目の前のことに対してどういう決断をすればいいのか、どういう態度をとればいいのか。それが分からない時に人は迷う。そして迷うに苦痛という感情がプラスされると悩みになる。悩みとは迷う時間を嫌だと感じている状態のことだ。何かを迷うのは、今あるどの選択肢も決め手に欠けているから。つまりこれといった核心的な基準がないのである。基準がないのに決めなければならない、だからこそどうしたらいいのか分からない。賭けなのだ。どれに賭けたらいい結果が降り掛かってくるのか、それが分かるなら誰も苦労しない。

 

 

運なのに一喜一憂する人間

賭けに対しても人は慎重になる。完全な運ゲーだとしても、良い結果を引いた時には喜ばしいし、悪い結果を引いてしまった時には落胆するからだ。人の情念とは誠に変である。どう考えもその時には分からなかったし左右できなかっただろうというようなことにさえ、いちいち後から「選んでよかった」とか「選ばなければよかった」などと思い一喜一憂したりするのだ。運なのだからそれは自分の理性による判断ではなかった。選択は単なる無根拠な当てずっぽうによって行われたのだ。それなのに結果によってその選択の正誤を決め、ひいては別のものを選べたはずだなどと後悔する。ちゃんちゃらおかしいのである。

 

 

腹を括る

現時点でどうなるか分からないものも考慮に入れるから迷いが生まれる。そんなものはその時になってみなければ分からないと腹を括るべきなのだ。そして今の自分にとっては完全に運なのだから後に悪い結果が訪れたしても、それは不運なのであってこの選択が招いたものではないと考えるのである。事実そうなのだから。今自分の目の前にはっきりと姿を現しているものだけで選択肢を構成するなら、そこに迷いが生まれる余地はない。判断する基準をしっかりと決められるからだ。自分の心や価値観を元に理性で判断していけばいいだけである。

 

 

その時には運なんてもうどうでもいいはずだ

そうはいっても人生なのだから、迷いがなくなることはない。今知ることのできない結果に対して、今は分からないのだからと線引きを実践するのはとても難しいことである。もちろんその結果を後から振り返って後悔しないことも。でももし今きちんと分かっているもの中から一つの明確な基準を持って自分の理性で選択を行ったのなら、その結果はやはりあまり大事でなくなってくるはずだ。だってそれは、今の自分が分かる限りのことで納得できる基準を元に考えるに考えて出した答えなのだから。これ以上の結果など有り得なかったと、きっとそう思えるのである。

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