底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

何事においても土台の大事さ忘るべからず

続けることを大切に

最初は書くという行為に重点を置いていたこのブログ、次にその内容と来て、近頃は「続ける」ことを大事にしたいと考えるようになった。書く意味を決めるより、内容の充実を求めるより、自分が無理なく一生続けられること。それこそが全ての土台であると気がついたからである。もちろん、だからと言って前の二つを諦めるわけではない。ただ大切にする順序をしっかりと守っていこうと決めただけである。




土台が大事

何事にも土台は大事なのですよ。当たり前のことであるが、土台がなければ全ては存在することさえできないのだから。書き続ける気持ちがあるからこそ、書くことができるのだし、内容にも拘れるのである。土台の上に立っているとどうも、そのことを忘れがちになる。そして平気で土台を壊すようなことをしでかしたりする。まぁ逆に言えば、それはそれだけ土台が安定しているということにもなるので、一概に悪いこととは言えないが。




知らんけど

歳をとると人は丸くなるという。それはそういうことなのではないかと思う。色々な条件が重なってたまたま出来上がっていた土台、昔はそのことに気づいていなかったので、平気でその上で暴れられた。だが歳をとるにつれ様々な経験をするうちに、その土台があったのは偶然に過ぎなかったこと、それは恵まれていたことなのだと分かるようになる。次第にその土台の貴重さと有難さに気づくので、優しく丸くなるんじゃなかろうか。知らんけど。




健康のためなら死ぬ的な

だが、土台を大事にすることは容易く本末転倒に陥るので注意が必要である。土台は確かに大事だが、土台だけあってもだめなのだ。ブログを続けることが大事なのは、あくまでよりよい内容を書くためであって、決して続けることだけが大事なのではない。思考停止でただ続けることのみ大切にしても、それは何の意味もないのだ。土台と、土台の上にしか成り立たないものは密接な関係にある。土台の方が大事であるけれど、土台のためにその上にあるものを切り捨てては何のための土台か、話があべこべになってしまうのだ。





これからのモットー

これは単なる私の意識の変化なので、このブログ自体は以前と何ら変わらないだろう。ただ今までのように、続けるためだけに書いていた自分に、続けるためだけに書かれた記事達に、罪悪感を抱くことはもうしなくて済むようになるであろう。「自己正当化しただけやないか」と言われればそうかもしれない。しかし私にとっては端的にそれが正しいことになったからいいのである。続けることを第一に、書く行為を第二に、よい内容に仕上げることを第三に。それをこれからの当ブログのモットーにしよう。

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