底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

みんなの世界が見たい!という話

聞いてみたい

ブログを書く時には、私は大方どの記事に対しても一つの作品を仕上げるつもりで臨んでいる。一部の吐き出さないとやってられない系の記事を除いて、基本的にはこのブログを一度も訪れたことがない人にでも楽しんでもらえるような記事作りを目指しているのである。それはもちろん単純に私の書いている事柄に興味を持ってもらいたいからだ。私はこのブログを通して、私の考えているようなことを同じように考える人が一人でも増えたらいいなと思っている。なぜなら、私はそういう人と人生を語り尽くしたい。人生とはなんぞや、自分とはなんぞや、生まれて死ぬってどういうことなん?私はこう思うけどあなたはどう思っているの?心底聞いてみたいわ。

 

 

私は非力

shikouzakki.hatenablog.com

昨日の記事では、私の見ている世界は私にしか見られないと書いた。それは逆に言えば、私は私の世界しか見られないということである。今この文章を読んでいるあなたはどんな世界を見ているのか、私には想像はできても、答え合わせは決してできない。だから、せめてものヒントを得るためには、それを誰にでも見えるような形のものに変換してもらわねばならない。文章なり、絵画なり、音楽なり、とにかく「伝える」という意志が込められたものが必要なのである。

 

 

あなたにしかできない

私は全世界の一人一人にそれをやってもらいたいと本気で思っている。だから、私はここで私にしか見えないものを常日頃言葉に変換して、画面の向こうの全ての人に呼びかけているのである。私には世界はこう見えていますよ〜!あなたにはどう見えている?私とは違うならどこが違う?どうして違う?一緒に考えて、その違いを楽しもう。あなたにしか見えない世界を私にも見せてよ。あなたに見せてもらうことでしか私は見られないからさ…。

 

 

「同じ」寂しさを感じた時にだけ寂しくなくなる

私達は誰一人として「同じ」世界には住んでいない。陳腐な言葉だが、世界は人の数だけ存在しているのだ。私は決して私の世界からは出られないし、誰だって皆そうである。私は私の世界しか見られないということを寂しいと感じているのだと思う。その寂しさを誰かに埋めて欲しい、誰かの私と「同じ」寂しさで。だからそのために、私はより一層寂しくならなくてはいけない。より一層寂しい声を上げるのでなければならない。自分固有の見方を決して手放さず、それをただここに表現し続ける。何かの縁でこの記事に辿り着いたあなたの心に少しでもこの記事の内容が響いたのなら、私は嬉しく思う。響かなかったとしても、うげぇなんか意味分かんないことしか言わない変な奴、とでも思ってくれたら、それもそれで嬉しい限りだ。

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