底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

真面目はふざけている

内容がないよう

気を抜くとついつい真面目な記事ばかり書いてしまう。真面目な自分は好きなのでいいのですけど、たまには全くなんの内容もないような記事を挟んで、その緩急を楽しみたいものである。前にも書いたことであるが、ブログを書いている時、特に真面目な記事を書いている時の自分は相変わらず自分ではない。このブログにネタ帳みたいなものはないので、書く内容は全てパソコンに向かってから考えているのだが、真面目な記事を書いている時はなんというか、実に文章がスラスラ出てくるのだ。まるで何かに乗っ取られたかのようにと言うと少し大げさなのだが、とにかく次の文章が声となって勝手に頭に浮かんでくるのである。




真面目は楽

だから、真面目な記事の時はたいそう気が楽である。テーマさえ決めてしまえば、あとはその声と自分の手がなんとか記事を仕上げてくれる。私の出番はテーマ決めの時点で終わり、後はただひたすらに仕上がるのを待つだけである。だが、今日みたいな記事を書くときはそうはいかない。頭になんの声もなければ、書くテーマさえ決まっていないので、必死に思考しながら試行錯誤を繰り返して書くしかすべがないのだ。要するに真面目でないのも結構大変ということである。




ふざけるって何をすることなん?

総合的に自分を真面目かどうかで見るなら、たぶん私は真面目よりの人間である。それは積極的な意味ではなく、ふざけることが得意でないという消極的な意味からそうなのである。真面目であることはやることが決まっているけれど、ふざけるってそれは一体何をやることなんだい?誰かチュートリアルみたいなものを用意してくださらない?




世界の方がふざけているとしたら?

いやーふざけたことが全然ないので、書くことが本当にないな。真面目にふざけることを分析しだしたら、それはまた趣旨がぶれるしどうしたものか......。あれ?もしかしてこうして悩む時点で真面目……?仕方ない。比較的得意な人生の場でふざけることについて語ることにしよう。人生の存在それ自体ひどくふざけているように思う。存在というドデカい視点で見ればすぐに気づくだろう。端的に世界も自分も何もなくてよかったのに、その何もかもが存在しているのですよ!?これ以上ふざけていることなどないであろう。そう考えれば、真面目に生きることとて大いにふざけていると言える。いやむしろ、真面目に生きれば生きるほどふざけていることになり、ふざければふざけるほど人生を大真面目に生きていることになりはしないだろうか。なるほど、必ず死を迎え、死んだらそれで終わりのたったそれだけの人生を真面目に生きられるなど、ふざけている人にしかできない所業と言えるのかもしれない。

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