底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

真面目を自覚すると恥ずかしい

真面目を自覚すると恥ずかしい

真面目でいる時の自分は好きだ。でも真面目な自分を自覚してしまうとどうも恥ずかしくってしょうがない。真面目というのはその外側から眺めてはいけないのだと思う。まじまじ見られるとどうしても逃げたくなって、うんまぁそんなに真面目でもないよ、なんてお茶を濁したくなる。一体何がそんなに恥ずかしいのか。なんとなくだけどそれは熱量の差にあるような気がする。自分が熱くなっているところを冷静に見ている自分。その二つの自分の温度差に耐えきれなくなり、熱い方がだんだんと冷えていく過程でさっきまで自分はあんなに熱かったのかと知って、いたたまれなくなってしまう。

 

 

冷めた自分が出てきちゃう

熱量があることはどう考えてもよいことである。何事に対しても真剣でひたむきなのを間違っていると言うことはできないだろう。問題は自分には熱量のその温度をずっとは保っていられないことにある。合間合間でどうしても冷めた自分がちょこちょこ顔を覗かせてしまうのだ。冷めた自分から真面目な自分を見れば、当然「何そんなに熱くなってんの?」と疑問を呈したくなる。だが真面目であることには理由なんてありはしない。理由があってやっと真面目であるなど、そもそも真面目とは呼ばないからである。だから結局毎回答えに窮しては、冷たい方の自分に熱い方の自分が吸収されていってしまう。

 

 

一方通行

冷めた自分からは熱量を持った真面目な自分がよく見えるのに、熱量を持った真面目な自分からは冷めた自分を見ることが出来ない。この一方通行も真面目を恥じてしまう理由の一つなのだと思う。熱量を持っている時なんかはどうしても目の前のそれだけになってしまうので、周りを見渡す余裕なんて全然ない。「なんで逆にそんな冷めてんの?」と聞き返せたらいいのだけど、難しいところである。

 

 

ふざけ方を知りたい

最近の自分真面目すぎてまじ無理ぴえんもっとふざけてこーぜうぇーいみたいな記事を書きたかったのに、また真面目に書いてしまった。ということでここから先はふざけます。ふざけますよ。ふざけさせてください。ふざけないとやってられないわ。ところでふざけるって何をすればいいの?真面目に聞きたい。ふざけたいんだ私は。誰かふざけ方を教えてくれ。日常ではそんな真面目キャラでやってるつもりないのに、ブログになるとついつい硬っ苦しくなってしまうの、なんでなんだろう。文才がないからふざけるのが怖いのかもしれない。すべりそうだし、すべっても「すべってるよ」ってツッコミを入れてくれる人さえいないから、ひたすら地獄みたいな空気が漂うことになりそう。こわ…。やっぱりこれからも大人しく真面目な記事を積み重ねよ。

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