底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

頑張ってもあと二万記事しか書けない

あと二万記事しか書けない

普通に生きていると、自分の人生が有限であるということを時々忘れる。人生八十歳まで生きられるとしても、私に残されているのはあとおよそ五十五年。日にちに直すとざっと二万日。ブログをこれから死ぬまで毎日更新し続けても、私に書けるのはもう二万記事しかない。八十歳まで死なずに毎日ブログを書ける想定でこれである。そう考えると虚しいな。書けばたくさんのことを残していけると思っていたけれど、逆だった。書けば書くほどに書ききれないものが増えていく。人間は本当にちっぽけだなぁ。




人生そんなもん

残りの二万記事(仮)で何を書いていけばいいのだろう。一瞬そのように考えたが、この記事もその二万記事(仮)の一つだったわ。二万記事(仮)はどこか遠くにある存在ではなく、今の私と繋がっている他でもない私のブログのこれからの話でした。つまりは、このままこんな記事が二万記事(仮)続いて行くんだろうな。え、まじで?うそ?自分が何かの偉業を為せるとは到底思っていなかったし、今まで自分が書いてきた記事たちも大いに好きですけど、残された人生で私がこの世に置いとけるものってそんなもんしかないのか。ほぇーそうか、そうか......。




死ぬまでにやってみたいこと第二位はバンジージャンプ、一位は死んでみること

時々忘れるとは言っても、私にとって死はやはり身近にある。今まで散々死についての記事を上げてきたのがその証拠である。死を「いつか」訪れるものとは考えていないつもりであるが、それでも死なない限り人は生き続ける。そして、生きるということは先を想定し未来に思いを馳せながら今を過ごすことに他ならない。明日も生きているという前提でしか人は今日を生きられないのである。だからそのことによって、死を覚悟することは限りなく難しくなる。きちんと死を意識し人生を今日までとするなら、きっと私は今頃こんなブログなんぞ書いていない。おおかた、どこかの国で死ぬまでにやってみたかったバンジージャンプにでも挑戦しているはずである。
shikouzakki.hatenablog.com
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あと二万記事お付き合いいただければ幸いですニッコリ

あと二万記事(仮)を書いても、きっとたくさんの書けなかったものが私の人生には残る。書いた分と身近な人に覚えていてもらえる分を差し引いて、残ったそれらのものはただ人知れず私と共に死んでいくしかないのだろう。それらをこの世に残す価値があるかどうかは置いといて、残せないと既にはっきり分かっていることが本当やるせないな。せめてここに「残せないものがたくさんある」ということだけでも告白しておこう。そして残せるものを一つずつ着実に。二万記事(仮)が(仮)でなく本当に書けると願って。