底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

目標と手段のベストバランス

手段大事

目標に対しての手段、私はそれにひどく拘る。目標を叶えられるならなんでもいいという訳にはいかない。私の人生においての最重要事項は死ぬときに後悔しないことなので、少なくとも道半ばで倒れ目標を叶えられずに人生の幕を閉じることになっても悔いの残らない手段であってもらわねば困る。私の場合、目標よりも圧倒的に手段の方が大事である。自分の満足いく手段で過ごしていたのなら、目標を叶えられずに死んだとしても一向に構わないが、気に入らない手段を使って、更にはその最中で朽ちることがあろうものなら絶対何かの悪霊に化けてしまうに違いない。




目標は大事でない

目標というものはさほど大事でない。なぜなら、生きているうちに掲げる目標の多くは、これからも生きていく前提で為されているからである。高校受験は大学受験のために、大学受験はよい就職先のために、よい就職先はよい待遇のために、よい待遇は幸福な人生のために(幸福な人生は何のために......?)。それら全ては生きているということに支えられており、生きているからこそ叶えることに意味があるものなのだ。しかし生きているということは全く当たり前ではない、誰しも普通に今この瞬間に死ぬ可能性を持っている。人はしばしばそのことを忘れる。忘れてまるで未来が約束されているかのように、死なない前提で目標をたて人生を勘定するのだ。死の前にあらゆる目標は無力である。どんな目標を掲げていようと死んだらそれで終わりなのだ。




目標は未来、手段は今

目標は常に未来にあり、手段は常に今にある。そういう意味でも、自分にとって大事なのは手段である。未来の存在はいつ如何なる時も不確かであるが、今は必ずここに存在している。だから、今の存在である手段に裏切られることはないが、未来にある目標のために一生懸命になっても、肝心のその未来がやってこない可能性は十二分にあるのだ。




目標と手段のベストバランス

自分の無理なく、他人に迷惑をかけない。それが手段としての最低限の条件である。欲を言えば快があるもの、楽しいものならなおよし。実際私は後者も含めた条件の手段を見いだせないと、中々手が出ない。いくらその手段が目標に対して最短の道で最適解であろうとも、今の自分が楽しめないなら、私はそれをやらない。自分にとって最高の手段を使うからこそ、その目標を叶えることに意味がある。目標はあくまで結果的に達成できたらラッキーくらいの添え物にして、手段をメインディッシュとしてガッツリ味わう。それが私の人生における目標と手段のベストバランスである。

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