底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

私が存在していると思えるのはなぜだろう

私が存在していると思えるのはなぜだろう

私はなぜ私が存在していると思えるのだろうか。この頃の私の関心である。「私はなぜ存在するのか」は途方もないので問えないけれど、私というものが存在している前提で、なぜ私はそう思えるのか。逆に言えば何が欠けたら私は私が存在していると思えなくなるのかを昨日からずっと考えている。例えば眠っている時で夢を見ている以外の時間私は存在しているけれど、私は私を存在しているとは思えない。それは偏に意識がないからである。即ち意識というものがそう思えるか否かを分かつのだろうか。




私が存在しているとは

そもそも存在するの定義が曖昧である。眠っている時の私は本当に存在していると言えるのか?だってそのまま目覚めなければ、それはもう死んでいるということと同じであって、ただ「たまたま」目覚めるから存在しているということになっているだけであろう。だから、眠っている時の自分というのはこの問いにおいてはそもそもが対象外であるはずだ。なぜなら、この問いは「私が存在している」が前提条件であるから。しかしそうであるなら、眠っている時以外の生きている時間は全て「そう思えている」時間になりはしないだろうか。起きている時間で自分が存在していると思えていない時間なんて一秒たりともあるはずがない、これは誰しもが直感している真実であろう。




知らんけど

もっと単純に考えるべきなのかもしれない。そう、例えば「私が存在している時点で、私は私が存在していると必ず思える」、私が存在することと、そう思えることは最初から同じことであって別々に考えるのは不可能だ、とか。「そう思える」が「私が存在する」という前提に支えられているのは言わずもがなだが、同様に「私が存在する」という事実も「そう思える」ことによって初めて成り立つ、と言えるのではないだろうか。




そんな無責任な

いやー毎回のことだけど足りない頭で考えるのは苦労するな。全然わからん。疑問をまき散らすくせに回収する気力と体力が私にはないらしい。タチが悪いですね。もっとスマートに一つの問題に対してとことん問うことが理想なのだが、私にはそれがとことん向いてないみたい。でも、まぁ記録だし疑問だけ置いといても別にいいか。その疑問がまた別の疑問を呼んで、自然に思考が深まるのを受動的に待つことにしよう。うん。実に私らしい。




私が存在する、結局それが一番よく分からん

私が存在する。たったそれだけのことなのに、どうしてあれもこれも分からないのだろう。形式も内容も本質も原因も目的も価値も意味も一向につかめやしない。私は存在している、私はそれを知っている。だが、なぜ私はそれを知っているのだろう、私はそれを知らない。

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