底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

生きているから何かしたい(と思ったけど)

生きているから何かしたい

死んではいけない。死にたいけど毎日を生きて過ごしている理由はぶっちゃけそれしかないのだが、それでもこうして生きているわけだから、何かはしたいと思う。今のところずっとやっているのは書くことと考えることであるが、でも書くことと考えることはなんというか「している」の内には含められない。それらが極めて受動的で衝動的だから。なぜ書いているのかなぜ考えているのか、その理由を私は明確には持っていない。それはなぜかやっていることだから、分類するなら「させられている」が正しい。「何に?」と言われるとよく分からないが、とにかくそこには私の意志は僅かしか介入していない。書くことと考えることはどうも生きているから、生存しているからやっているのではなく、存在しているからやっているという感じがするのだ。生存と存在がどう違うのかはよく知らんけど。

 

 

でも何を指標にして決めたら?

さてじゃあ何をしようと考えるにあたって、まず私が乗り越えるべきは「する価値があるものとは何か」という問いである。なぜなら、私にはしたいことがないから。抽象的な形式「何かしたい」だけを欲し、具体的な欲する対象「何をしたい」がない時、人は価値という概念に頼りざるを得ない。仕事などかその最たる例である。仕事をしてお金がほしいけれど、具体的にしたい仕事はない時人は福利厚生、給料、通勤のし易さ、面接の通りやすさなどの外的指標をもって何が一番「よい」のかを決めるであろう。それと同じである。さぁでは、生きていることの外的指標にはどんなものがあるだろうか。幸せ?やりがい?面白さ?社会への貢献度?うーん...。「でもやったところでどうせ死ぬやん」という言葉が頭の中に流れて来た。いやホントそれな。生きていたいわけではないが、死を超えられるものがあればやりたい気持ちになるのにな。

 

 

暇人

要するに私暇なんだな。考えることと書くこと働くこと眠ること以外の時間は基本的に何もすることがない。「人生、死ぬまでの暇つぶし。」とはよく言われる言葉であるが、本当その通りだな。まぁつぶさなくても死ぬのだけど。アニメやYouTubeを見たり、カフェでボーっとしたり、そういうのはたまにやるが、それは潰し方がもう他になんにもないから仕方なくやっている感じ。もっとなんかこう、積極的な消去法でないような選択肢がほしい。何かないですかね、そういうの。やっぱり「やりたい」がないと、見つけるのは無理ゲーなのかな。

 

 

元も子もねぇ

今日にも死んでしまう可能性あるし、やっぱりどうでもいっか。

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