初詣に行きました
まずは、正式にあけましておめでとうございます。なんとなく気まぐれで今年は初詣に行ってきました。神に祈ることは何もないのだけど、形式的にお金を投げ鐘を鳴らしてから、目を瞑って合掌している時、私は「神はどこにいるのだろうか」と考えた。罰当たりですね。いやしかし、科学が大いに信仰されているこの二十一世紀において、まだ人は得体の知れないものに祈ったり願ったりしているのですよ。神がいるなんて本気で信じている人、日本ではたいそう少ないだろうに。不思議なことである。
神はいなければならない
神はいるだろうか。私はそうは問わない。いることは私にとって自明だからである。神がいないなら、私はこうして生きていないし、こうして文章など書いていない。人間や他の全ての存在は「被創造者」である側面が拭えない。なぜ世界は今のような形であるのか、それが偶然であるとは人は飲み込めない。だから、神は存在する。存在してもらわねば困るという形で。
自分の外にいる神なんて神じゃない
私は基本的に神は自分の外のどこかにいるとは考えていないので、合掌している時なんかは、何に何を語りかければいいのだろうかと、少し笑ってしまう。だってどんなに自分の外に神が「実在」したとしても、その神は私にとって神であるはずがないのだから。私にだけ見え私にだけ語りかけるから、そのものは神たり得るのだ。所謂、神のお告げとはそういうものであろう。
怪しいブログじゃないからね……。
神神言っていると、どうしても胡散臭くなりますね。やめやめ。せっかくの元日ですし、今年の抱負でも書いておこうかな。うーん、死なない限り生きる。抱負ではなく願いとしては、今まで以上によりよい記事を執筆すること。人生に対する思索が深まること。それくらいかな。去年の半ばにブログを始めた時は本当に軽い気持ちだったので、正直ここまで続くとは予想できなかった。書くことは今や私にとって離れがたく、死ぬまで一生続けたいとさえ思っている。半年でこの変化、実は驚くべきことなのではないか。私の人生の大きな転機だったりして......?
休みを減らしたい(できれば)
これからも、このブログには底辺の私の思いや思考だけが書かれていくと思いますが、それでもよければ今後とも片手間でもなんでもお読みいただければ幸いに存じます。去年の何本かの記事は端的に私にとって宝物になったので、今年の自分にも要期待である。休みは結局月に3~5回ほどで去年は定着したが、今年はどうなるのやら。できれば減らしたいところである。月に五回でも、年に換算したら六十回になるので馬鹿にならない。
大丈夫かな
二〇二二年、一発目はただの雑記からのスタートです。先が思いやられますね。