底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

どこで勝負すれば負けないか

勝つより負けない

勝ちたいとは思わない。勝てるとも思わない。だから誰にも何にも勝負は仕掛けない。誰かの土俵では決して戦わない。だが、勝負を仕掛けられたら話は別である。私はいつも「勝つ」より「負けない」を目指す。勝負しないということはもはや許されない。勝負しないは勝負しないという勝負に突入するだけである。必ずしなければいけない勝負をどこでするか、これは至極重要である。全てに勝つというのは言わずもがな大変に難しい。人間には向き不向きがあるし、人ひとりの力には限りがある。だから一番コスパがいいのは「これだけは負けない」と言えるものを一つだけ持っておくことである。そして、その「これ」はできれば最初から他人の手の届く場所にない方がよい。それが無理なら、細かく細かく小さく小さくある方がよい。料理全般よりは一つの料理、一つの料理よりは一つの工程を極める方が容易いであろうから。




ずる

私の土俵にはそもそも他人は入ってこられない。私は私の実存を持って人と勝負をするから。これは誠にずるいと思う。でも結局私にはそれしかないのだろう。それでしか勝てないのだから仕方ない。世の中に既にあるもので勝負すれば、私が勝てることは何一つない。勝てたら今こうして底辺なんてやっていない。




人間勝負大好き説

自分が好きなことで楽しければそれでいい。そんなのは結局綺麗事である。この世にあるほとんどのスポーツは他人と勝負する競技の形式で、音楽や絵の世界にもなんとか大会が溢れていて、他にもなんとかランキング、なんとか賞、とにかくあちらこちらに勝負が落っこちている。自分が好きで楽しければいいって思えるようになるには、それら全てを心の底からくだらないとする必要があるが、果たしてそれは可能な事態だろうか。好きなら勝ちたくなる。これは人間の本性だと思う。勝てば生きる、負ければ死ぬ。というほど大げさなことではないのだけど、勝てば私は私でいられる。負ければ私は私でいられなくなる。それくらいには大きなことである。




なんか今日の文章ポエミーだな

世の中のことで勝負しない。私はそのようにしか自分を保てないけれど、それはきっと惨めなことではない。うん。そう信じよう。結果的に負けないことが大事なんだから、後のことはどうでもいいじゃない。私より私「である」ことのできる人はいない。それだけで存在した価値はあるはずだ。いや、勝負しないと生きていけないのに世の中のどこでも勝てやしないのだから、そもそも自分にはそれしか活路がないんやろ。はい…そうですね...。