底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

大切なのは魂か命か

かっこいいけど大抵は嘘

例えば目の前に悪党がいて、そいつに殺されようとしている時、「お前に殺されても私の何が傷つく訳でもない、一向に構わんぞ」とする態度には一定のかっこよさがあるだろう。私の魂や誇りはお前なんぞの届くところにはない、殺されたところで失うものなど何もない。それが真実であるなら端的に一つの高貴な死に方と言うことができる。だが残念なのは大抵の場合は強がりな嘘でしかないことである。もう殺される以外に選択肢がないので最期の悪あがきとしてそういうことにしておきたい、守れるものがそれくらいしか残っていないから、実は自分にとって大事なのはそれだけだと無理にでも思い込みたい。多くはそのような「どうしようもなさ」を自分に納得させるための、作られたストーリーである。

 

 

これが本当のかっこよさ?

だから本当にかっこよく生きたいのであれば、常に殺せる方の立場に立つこと、殺されるような状況に追い込まれない力を身につけることが大切だ、というような意見も有り得るだろう。先程の話を踏まえると正しい気がしてくる。もし一向に構わんぞとする態度が嘘でしかありえないのなら、自分に実直に生きるためには、守りたいものを守るだけの力が必要になってくる。魂や誇りなどではなく自分の命や財産こそが大切なんだとするなら、それらは常に悪党に奪われる可能性があるのだから、時には人と争うことも辞さない覚悟でいなければならないのである。

 

 

でもやっぱりちょっとかっこ悪い

しかし、「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」という有名な言葉があるように、やはりこちらにもかっこ悪いと言える部分がある。争いとは即ち相手と同じ土俵に立ち何かを奪い合うということなのだから、そもそも悪党が欲しがりその手に渡る可能性のあるものを大切にしていた時点で低俗なのであり、その低俗なものを巡って相手と争うことは更に醜い、とする視点もあり得ることだろう。

 

 

自分にとっての本当はどっちか

では一体どちらの生き方が真にかっこいい生き方なのだろうか。それを決めるのはたぶん自分の内心である。他人との争いにいつも負けて悔しい、けど力がなくどうしようもないから本当に大切なのは魂や誇りなんだとでっちあげる。魂や誇りだけを大切にする覚悟と勇気を持てないから命や財産も大切であり、それを守るために他人と争うべきなんだと嘯く。言わずもがなそのどちらも正しくない。自分の弱さをきちんと見つめる必要があるのだ。どちらが自分にとっての本当であるのか。それをしかと突き止め、嘘で覆い隠してしまうことのないよう生きていく。どちらの生き方にしろ、きっと自分に実直であることが一番かっこいい生き方である。

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