底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

馬鹿について考察するおふざけ

言うまでもないが私は馬鹿です

馬鹿。人生でそう言われた回数は数知れず。少しばかり悔しい気持ちもなくはないが、こればかりは認めなくてはいけない。自分自身でもその自覚がはっきりとある。知らないことがたくさんあるし、考え方だってたぶん偏っている。最善を知っていて手放す時もあれば、最悪を知っていて回避しない時もある。私はとんでもない大馬鹿である。自分だからそう遠慮せずに言うことができる。他人に馬鹿と言い放ったこともなくはない。ほとんどは友人に対しての冗談である。本気で他人を馬鹿だと思ったこともある。大抵は心に留めておくことにしている。自分以外に真に馬鹿にできる人など本当にいるのか、と疑問に感じているからである。つまり、私から見て馬鹿というのでなく、公的な客観的な誰がどうみても馬鹿としか思えないような、そんなことってあるのだろうか。




馬鹿とは何ぞや

というわけで、今回は肩の力を抜いたおふざけ馬鹿考察である。馬鹿とは何ぞやと、一度きちんと考えてみたい。それにはまず普段、馬鹿という言葉が何に対して言われているのかに注目する必要がある。例えば無知。「こんなことも知らないの?馬鹿?」なんて煽りはインターネットでは日常茶飯事だろう。例えば間違い。「こっちの方が正しいから。馬鹿?」なんて煽りもインターネ(ry。例えばやらかし。「ダッサww馬鹿すぎwww」なん(ry。




仕方ないものは対象外

今回考えたいのは、客観的に真の馬鹿はいるのかということなので、「仕方のないもの、選択の余地がないもの」については最初から排除しておきたい。でないなら、赤ちゃんなんかがもろ真の馬鹿になってしまう。ここでは本人の意志が及ぶ範囲でのみ考えることとする。そう限定すると、無知も間違いもやらかしも馬鹿の対象外となる。それらはわざとではないのだから。あれ?でもそうしたら馬鹿にできるものって何が残るんだ?




小学生ってすげー

本人の意志の範囲内で馬鹿。うーん、何が正しいのか何が一番合理的なのかを知っていてそれを選ばないとか?冒頭で書いたやつね。でも、これは自分にだから言えるけど、他人には他人の正しさや合理性があるわけで、それを自分の基準で計って馬鹿呼ばわりするのは、却ってこちらが馬鹿ということにならないか?確かにな。うん…?これってもしや、小学生の時に誰もが一度は言ったことのあるセリフ「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー!!」が正しいということでは!?うへー小学生ってすごいな。まさか一周回ってここに辿り着くとは思わなかった。とても含蓄のある深い言葉だったんだなぁ(遠い目)。

f:id:kabiru8731:20220108040128j:plain