底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分らしさってなんだろう

変な言葉

自分らしいってすごく変な言葉じゃないですか。だって自分らしいですよ自分「らしい」。今ここにある自分以上に自分らしい自分がどこかにあるってことですか。今ここにないのにそのどこにあるとも知れない自分の方が自分らしいって言うんですか。今ここにある自分より自分らしい自分が本当にいるのだとしたら、その「らしさ」ってどういう意味になるのかしら。どういう基準でそうなのかしら。反対に自分らしくないも、当然変な言葉である。今ここにある自分が自分らしくないのだとしたら、自分らしいってもはやどういうことなのよ。最も自分らしいのは常に今現実に存在している自分以外にはありえないはずでしょう。

 

 

もっと変な言葉

以上のことを踏まえると、この世には更に変な言葉がある。それは「自分らしくありたい」である。うーんいよいよややこしい。自分より自分らしいものが存在する前提でそれになりたいと。そしてそれになると今より自分らしくあることができると。紛れもない自分がここに既に存在しているけれども、自分らしいものに「なった方が」自分らしいわけだ。はい?

 

 

自分と自分らしさ

らしいが自分という言葉の内部に組み込まれていない時点で何かがおかしいのだ。「自分」という二文字に「らしさ」が含まれていない、つまり「自分」とは別に何か「自分らしさ」のようなものが独立して存在しているとしたら、その「らしい」は全く自分を起点としていないことになる。そうであるなら「らしい」のらしさの拠り所は一体どこにあるのだろう。何をもって私はそれが自分らしいか、らしくないかを決めるべきなのだろう。

 

 

自分らしさってなんだろう

「自分らしくない」そう言葉にする時、それは「いつもの自分のようではない」くらいの意味であるはずだ。いつもの自分を「自分らしい自分」としている為に、そうでない方、何かいつもと違う自分は「自分らしくない自分」となる。しかし、いつもの自分とはつまるところ頻繁に出現する自分でしかない。頻繁に出現するからといって、別にそれが自分らしいということにはならない。「頻繁」くらいじゃ甘いのだ。それ以外の自分、滅多には出現しない自分だって、言わずもがなきちんと自分である。その子達も含めた上で「絶対」出現している自分、それこそが自分らしさである。自分がどう存在していようと必ずあるもの、らしくないならそもそもそれは自分ではないのだと言い切れるようなもの、自分らしさとは本来そういうものではないだろうか。自分を離れどこかそこら辺を漂っているだけの自分らしさなんて、ちっとも自分らしくないのである。

 

 

あれ真逆のこと書いてる

本当の自分はあるけど、自分より自分らしいものはない。

shikouzakki.hatenablog.com

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