底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

美容院で人の優しさに感動した話

奇跡落ちてた

美容院に来た。この頃はずっとショートヘアである。洗うのも乾かすのもめんどくさいという理由で、もう長い間髪は伸ばしていない。今回の美容院は二ヶ月ぶり二回目の利用である。お店に入って席に案内されると、担当の美容師さんが口を開いた。「これ前回落としませんでしたか」。そこにはなんと二ヶ月もの間私が探し続けていたピアスの姿があった。「!!」と驚いて感激のあまりとっさに反応できなかった。私にとっては本当に大切なもので、もう見つからないのだろうなとすっかり諦めていたからである。それがまさかこんなところで再会するとは!はぁぁ奇跡やん!!

 

 

嬉しかったな

いやいや、ちっとも奇跡なんかではない。これは偏にお店側の素晴らしい配慮の賜物である。もちろん単にそういう規定があったから捨てずにいたというだけのことかもしれない。なら、私はその規定に感謝することにしよう。どちらにしろ、私にとっては堪らなく嬉しい出来事であった。嬉しくて嬉しくて、髪を切ってもらっている間、この喜びの根源はなんだろうかとしばらく考えた。大切なものが見つかったからというだけではどうも足りない。優しさに触れたからというのも何か指の隙間から零れ落ちるものを感じる。もっと深くにこの喜びの理由があるはずである。

 

 

不在を大切にするのは大変

そうか。これは私の「不在」に対する気遣いか。シャンプーを終えドライヤーの爆音と爆風の中で突如閃いた。人は普通誰かを目の前にした時、特別な理由がなければ、たとえ全然知らないような人にでも、友好的に接するであろう。それは多分そうする方が楽だからである。だがその人がその場にいないような時はそうではない。その時には自分の本心を言ったりなど自分本来の姿になること、或いはその場に「いる」別の人に友好的な態度でいる方が楽なことになる。目の前に「ないもの」に対してよい態度を維持するのは、人間にとって労力のいることである。もう来るかどうかも分からないひとりのお客さんでしかない自分に、そこまで労力をかけてくれた。嬉しさの正体はきっとこれだろうと思う。

 

 

世界は思っているより優しいのかもしれない

ピアスを取っておいてくれてただけの事やん、自意識過剰やで。うん。本当そう思う。普通に考えたら、電話が来たりまたお店に来たりする可能性があるから置いておこうという、それだけの話なのかもしれない。でも深く考えたおかげで得られたものがあった。生きていると時たまこうして人の優しさに触れることができる。今回はたまたまお店にもう一度足を運んだから、その優しさに気づけたけれど、もしかしたら私が気づいていないところで、もっともっとたくさんの優しさが自分の周りに溢れているのかもしれない。なんて。それこそ自意識過剰かな。

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