底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

いいものは墓場まで持っていきたい

あなたならどうする

ここにすごくすごく素敵なご飯屋さんがあるとしよう。味が美味しいとか、コスパがいいとか、雰囲気が堪らないとか、とにかくご飯屋さんとしての全てのよさを兼ね備えた最高のお店があるとしよう。そのお店は普通にはまず見つけられないようなとても辺鄙なところに建っている。さて、自分だけがなんらかの奇跡によって偶然そのお店を見つけられた時、私は一体どうしたらいいのだろう。ここでの「いい」とは自分にとって何が一番幸せなのかという意味だ。死ぬまで独り占めでそのお店を楽しむ?密かに親しい人だけを誘って堪能する?ネットに書き込んでより多くの人に知ってもらう?

 

 

私という人間

個人的には自分だけで独り占めすることが最もしたいことで、親しい人に教える場合には、こんないい場所独り占めしたら悪いなという罪悪感によって、ネットに書き込む場合には、こんないい場所を自分は知っているんだぞという優越感によってなされる。純粋に誰も彼もそのお店を楽しんでくれたらなんて動機で人に教えるほど優しくないけれど、ひとりで何の後ろめたさも抱えずにずっと楽しんでいられるほど図太くはないし、見つけた功績をずっと黙っていられるほど重厚な人間でもない。だから仕方なく人に教えては、結局教えなきゃよかったと後悔する。私はそういうタイプの人間である。

 

 

尊敬

墓場までお店のことを持っていけるような人を私は尊敬する。他人に教えるのは簡単で、黙っていることの方が何倍も難しいからである。いいものを見つけて他人に教える。それはそれでもちろん素敵なことではあるが、本能のようなものに近い。教えて「しまう」というのが正しい表現だろう。最後まで黙ってひとりで味わい尽くす方には強い意志が必要になる。それは本当に大変なことで、並大抵では無理である。

 

 

重なり合う

いいものを他人に教えない。それに何の意味があるかというと、そのことによって「いいもの」と「私にとってのいいもの」が完璧に重なり合うのである。いいものを見つけそれを誰かに嬉しそうにおすすめする時なんかは、自分にとってのいいものは他人にとってもいいものである、という前提にたっている。それはある意味でとっても普通なことだけど、やはりどこまでも変である。私と他人は別の人なのだから。

 

 

憧れ

罪悪感に押し潰されず、優越感の誘惑にも打ち勝って、いいものをただ一人で味わう。やっぱり憧れるな。自分だけが知っている隠れ家レストラン。はぁなんて素敵な響きなのでしょう。いいもの全部自分の胸のうちにきちっと仕舞い込んで、一人で静かにひっそり楽しめる。そんな大人にこれからなっていきたい。

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