底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

今の自分を決めるのは過去なのか

根拠はどこにある?

過去の経験は今の自分の性格にどのくらい影響を与えているのだろう。正直言ってよく分からない。この人が今こうしてこのような形であるのは過去に〇〇を経験したからだ。そのような言説をよく見かけることがあるが、その因果はどのようにして証明できるのか、疑問が残る。もちろん実際のところ、今の自分のこの性質は過去のあれのせいかな、と考えることは頻繁にある。でもやはり根拠がない。生の感覚がそこにあるだけである。




理解=因果を知る

人間というと主語がデカいかもしれないが、無意識であれ意識的であれ、なんでもかんでも早く納得したいと思う人は多い。なぜなのか分からないものは不気味であり、それ故にとにかくはやく答えを宛がって納得したい。そうすれば態度を決められる、扱い方が分かる。知恵で生き延びて来た人間の本能なのかもしれない。過去はその答えとして最も人々に納得されやすい。なぜなら、人は因果をもって物事を理解しているからだ。いや、理解するという言葉の意味が、ある物事の因果を知るというそのことだからである。何か不可解なこと、悪いことには必ず原因があるはずだ。そう考えるのは人間の思考の癖によるものだと言えるところがある。




性格の原因は

もちろん、実際に原因があることも大いにしてある。根拠を問う以前に、どう考えてもそうとしか思えないようなことがやはり存在する。今このパソコンが点いているのは、どう考えても私がさっきブログを書くために電源スイッチを押したからだ。そうでないかもしれないと疑うなら、むしろそっちの方に根拠が必要である。しかし、性格のような場合には、強烈なトラウマなどを除いて、その多くには端的な一つだけの原因を挙げることができない。言うなれば、過去生きた分のほぼ全てが自分の性格を形作っている原因である可能性を持っている。いや過去だけではない、今や未来にもその可能性は広がっているだろう。




救いは一瞬

過去に今の自分の原因を求める。それはある意味で今の自分を救うことになる。この性質は自分でも嫌だと思っっているけれど、性質の原因は過去にあり過去を変えることはもう叶わない、だからどうしようもないのだと、そう思えるためである。だが、裏を返せばそれは単なる苦しみではないか。変えられないのだとすることは一時の救いにこそなるが、長期的に見ればただの呪縛になってしまう。




過去を決めるのは今の自分

人生で経験したことは人によってバラつきはあるものの、ある一つのパターンの経験しかしてこなかったという人は一人もいないだろう。どのような経験を過去から抜き出してくるか、抜き出してきた経験達にどんな意味を与えるか、それら全ては結局今の自分に懸かっているのである。

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