底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

知らなければよかったは知ってみないと知り得ない

理不尽すぎる

人間の構造は実にたくさんの理不尽で成り立っているが、その中でもとびきり不便な理不尽がある。それは「知らなければよかった」は知ってみないと知り得ないことである。知らなければよかったと思った時にはもう手遅れであるのに、先んじて知るべきなのかを知ることができない。なんて厄介なのでしょう。どうして人は知らなければよかったことを知らずに知ることができないのだろうか。まぁ百歩譲ってそこまでは仕方ないとしても、それならせめて知らなければよかったと思うようなものはスパッと忘れられるくらいは可能にしておいてもらいたいもんだ。知ってしまったらもうどうにもならないこのシステム、ゴミすぎないだろうか。

 

 

挽回の余地がない

「〜しない方よかった」の形式で存在するものは他にも数多くある。言わない方がよかった、書かない方がよかった、食べなければよかった、行かなければよかったなどなど…。そのどれも事前に知ることができないので、非常にゴミである。だがその中でもやはり知らなければよかったは群を抜いてゴミである。他のものには少なからず挽回の余地が残されているからだ。言わない方がよかったは、謝罪などをして許してもらうように努力すればいい。書かない方がよかったは最悪消したり破いたりすればいい。食べなければよかったは病院に行くかダイエットを試みればいい。行かなければよかったは直ちに帰ればいい。全て完璧に戻せるというわけではないけれど、どれもこれも対処法はある。だが知らなければよかったは、およそ何をすることも叶わない。知ってしまったが最後、もうそこには後悔するしか道が残されていない。

 

 

後の祭り

世の中には確実に知らなければよかったことが存在する。というか世の中のことなんて総じて知らなければよかったのでは…。うん。まぁそれは言い過ぎだとしても、何か一つを知ったから全てが始まってしまったというようなことはあると思う。その一つさえ知らなければ、何も怯えず何も心配せず何も危惧せず何も悲しまず何も焦らなかったのに。知らなければよかった、でももう知ってしまった。どうしようもない。後の祭りだ。

 

 

全部知らなければよかった

結局知ってしまった以上は覚悟を決めて諦める他ない。知ってしまった責任を負い、更なる知の奥底へと足を進める。知らなければよかったという後悔を払拭する唯一の方法である。いやこれとて払拭にはなっていない、ただの悪あがきである。知ってしまったものはやはりどうにもならない。知ることは死ぬこと、知らぬが仏である。あーあ全部全部何もかも全て知らなければよかったなぁ。

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