底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

世界は自分が想像ているよりもずっと広い

サラリーマン以外の生き方があるなんて知らなかった

私が大人になって思うことの一つに、世界は自分が想像しているよりもずっと広いということがある。小さい頃大人はみんなサラリーマンになるしか道がないと思っていた。それで何十年か働いて定年退職し老後を楽しんで死ぬ。大人は例外なくみんなそうして人生を歩むものだとなぜか勘違いしていたのである。自分が大人になると全然それだけではないことが分かる。もちろん多くの人はその道を辿るかもしれないが、例外は思いのほかたくさんいるし、種類も実に豊富だ。こうして生きている人もいるのかといちいち驚かされたりするのである。




想像力のなさを想像する

世界の広さを見くびってしまう原因は、想像できないことを想像できないという人間の能力の限界にあるのだと思う。想像はこの世のあらゆる行為と比べてダントツに自由度が高いが、まさにそのことが仇となって、想像できないものは「ない」と思ってしまいがちになる。何でも思い浮かべられるのが想像でも、想像のベースになっているのは、たかが人間一人分の知見なのだから、その「何でも」は実は全然「何でも」ではないのである。想像を飛び越えるものは定義により想像できないので仕方ないとは言え、それならせめて自分の想像力のなさを想像できるくらいにはなっておきたいですね。




ないよりはマシ

今自分が持っている選択肢があまりに少ないと感じた時、それは世界の広さを知らないからかもしれないと考えてみる。自分が「そうなったら終わりだ」と思っているような生き方は案外既に誰かが生きていて、しかも全然別に終わっていない。もちろん、だからって自分はそう生きたくないということもあるだろう。それでもそうして生きている人がいると知っているのが大事になってくる。人生何がどうなるか分からない。どんな選択肢でもないよりはマシである。




抽象的にとにかくあるのだとする

世界の広さは人間には到底計り知れない。自分はその中のほんの一部を覗いていて、そこから乏しい頭で限られた範囲を想像しているだけに過ぎない。自分の全然想像も及ばないものが世界にはたくさんある。それらを端的に想像することは当然叶わないが、抽象的にとにかくあるのだとすることは可能であろう。大丈夫。自分の中に答えがなくとも、世界の方には大抵もう転がっている。ただ自分が想像できないので、それが信じられないだけである。世界の広さを実感するには、他人の生き方や考え方を知るのが一番手っ取り早い。自分とは全く違う世界を見ていて、不気味で嫌悪感すら抱くような人に出会えたら超ラッキーである。だからそのラッキーを祝して今すぐこのブログの読者になろう。