底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

世の中そういうものだから

1

「世の中そういうものだから」という言葉、誰しも人生で一度は耳にしたことがあるのではないか。そういうものだから、仕方がないことなのよ、後に続く言葉はそんなところだろうか。しかし、よくよく考えてみると、世の中というのは常に移り変わってきた。昔では仕方ないとされていたことが、今ではすっかり改善され、自由が効くようになった物事などいくらでもあるだろう。「そういうもの」は別に全く不変的ではないのである。だが、それでもこの言葉を言う人は後を絶たない。今日もきっと世の中のどこかで誰かしらがそれを口にしているだろう。なぜなら、たぶんみんな諦めたいのだと思う。

 

 

2

そういうものだから、仕方ないのだ「ということにして」目の前の理不尽をどうにか飲み込みたい。それが、この言葉に込められた人々の願いではないだろうか。「そういうもの」でないことなど本当はみんな知っている。でも、それを明らかにしてしまうと、じゃあ目の前の理不尽をどう処理すればいいのか、どう納得したらいいのか、どう向き合えばいいのか、分からない。だから誰も彼もが世の中を「そういうもの」にしておいて、自分自身がそれに合わせる形をとってきた。そうすれば、理不尽に対し目を瞑ることができる。自分も傷つかなくて済む。

 

 

3

みんなが「そういうもの」にしているから、世の中は尚更そういうものになっている。そういうものを不変的にしているのは実は多くの人の思いであって、世の中の側の事実ではない。多くがそういうものとして飲み込み、変えようとしないから、ますます変わることがないのは当たり前の道理だろう。つまりは、世の中をそういうものにしているのは、まさに「世の中はそういうものだから」と口にしている、その張本人なのである。

 

 

4

理不尽と戦う必要はない。しかしだからといってそれに蓋をして目を瞑って思考停止になるのはいけない。蓋をすればするほど、理不尽は凝固に世の中に蔓延っていくだけである。それが更なる別の理不尽を呼び、どんどんと悪循環に陥ってしまう。理不尽は戦うのでもなく蓋をして飲み込むのでもなく、端的に捨てればいいのである。そこから身を引くという態度を示すことが、何よりも理不尽を消し去る早道だ。人々の絶えることのない取捨選択によって、「そういうもの」は変動し、世の中はよりよくなっていくのである。今はもう大方それが許される時代だ。今の「世の中そういうものだから」、もう大丈夫。どんどんと、捨てていこう。

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