底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生には長い目と短い目の両方が必要

長い目と短い目(こんな日本語ある?)

自分が百年二百年或いはそれ以上生きられるとしたら、今の生き方を変えるだろうか。或いは逆に今日や明日にでも死んでしまうとしたらどうだろうか。後悔のない人生を歩みたいのなら、この長い目と短い目(?)の両方からの検討が必要である。死はいつ訪れるか分からない。それはつまり目の前には常時「しばらく生きている」と「今すぐに死んでしまう」の二つの可能性が広がっているということ。どちらに転ぶかは神様にしか分からない。人間にできるのはそのどちらに転んでもいいように備えることだけである。

 

 

満足と覚悟

しばらく生きているのだとしら、必要になるのは毎日の満足である。人生に飽きない、人生を投げ出さないための趣味や娯楽、或いは周りとの良好な人間関係、或いは成長はできるが永久に遂げることのできない目標。とにかく、一生この状態を保っていたい、未来永劫生きているのだとしてもこのように生きていたい、と言えるようなことを持っておくのが大切である。ものとしては、自分がどうなっても自分が存在している限りは続けられるのが最も理想的で、最低でも年をとり身体が衰えてもできるくらいのことがいいだろう。逆に今すぐ死んでしまうのだとしたら、必要になるのはもちろん覚悟である。もう死ぬのだと腹をくくり、未練や後悔を仕方のないものとしてすっぱり断ち切る。人生を振り返って発生するあらゆる雑念を手放し、自分の人生はこうであるしかできなかったのか、他にもっとよい道があったのではないか、などという可能性の話はもうどうにもならないのだということを受け入れる。死ぬ現実から目を逸らさずに、スッとあの世に消えていく。

 

 

二分の一に賭けてみる?

賭けに出てみるのもありだ。実際今の世の中「しばらく生きている」に賭けている人はとても多いように見受けられる(しばらく生きているから満足は後回しでいいやという様子であるが)。賭けが当たるなら、それに越したことはない。確率は二分の一であるわけだから、当たる可能性は超大きい(外れる可能性もその分...)。

 

 

ほどほどが一番

賭けに外れた時のことを考えてしまうような人なら、やはりどちらにも備えておくのがベストだろう。最長の一生を見通し最後まで生き切るつもりで毎日を精一杯生きる。満足ばかりを追い求めて覚悟を忘れる、覚悟ばかりに重きを置いて満足を忘れる、そのどちらにもならないようにバランスをとり、きちんと両方を持って人生に挑む。今日もほどほどに満足できたから後悔はない。明日があるのなら、明日もほどほどに生きていこう。明日がないのだとしたら、それはそれでしょうがない!

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