底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ブログの宣伝を三日でやめた話と底辺について

底辺の意味

底辺。私はそれをこれ以上落ちることのない安心として使っている節があるのだけど、世間的にはどうやらそういう意味は全くないらしい。ブログの名前にしたのも、これ以上私の人生は変わらない、変わったとしても私は変わらない。そんなようなことを込めているのだが、もしかして「底辺」という二文字をチョイスしたのは間違いだったのかしら。今更変えるつもりもないけれど、近頃強くそう感じる出来事があった。というのも、気まぐれでこのブログを宣伝してみようと思い至って、某青い鳥のSNSでアカウントをつくり、ブログ名をそのままハンドルネームにしていたら、「人生の勝ち組になろう」「これから成功したい!」系のアカウントから大量にフォローされたのである。

 

 

似つかわしい

人生を登り詰める能力なんて私にはない、もがくのはよして底辺に落ち着こう。何年か前にそんなことを思い、もうすっかり生き方が定着している。将来や未来のことは気にせず、手の届く範囲の幸せを享受し、できるだけ自分を受け入れて生きている。特別な事情も何もないけれど、「普通」も「向上」も、私にはできなかった。だからこそ、底辺という言葉が最も似つかわしい。

 

 

もう変わらない

生きているか死んでいるか。人生は二つに一つだ。生きているなら生きているだけだし、死んでいるなら死んでいるだけである。できることを精一杯、できないことはしょうがない。今思いつた言葉だが、私の人生のモットーである。人生どうなろうと、このモットーは覆らない。だから私の人生死なない限りはもう変わらない。

 

 

そんなうまい話があるとは思えないので、人の口からではなく実際に天から降ってきたときだけ信じます

もちろん人生成功したくないと言ったら嘘になる。天からそのチャンスが降ってきてくれるなら絶対に拒否したりなんかしない。でも自分を犠牲にするのは勘弁である。世間的にどれだけ底辺だろうと、私にとっては大事な私なので。はい。より一層底辺になるサイクルの出来上がり。

 

 

ただ書き続けよう

某青い鳥は結局めんどくさくなって、アカウントを削除した。三ツイートくらいしかしなかったが、アクセスはそれでも伸びた。けれどやはり虚しくなった。宣伝なんかしてどうするの?自分に問いかけたが、何も答えが見つからなかった。それがむしろ答えなのだろう。このブログはやはり細々と書き続けるに限るな。宣伝をしてみて改めて感じた。声を上げて「自分は底辺です」というのは恥ずかしいことであるし、そもそも何かズレている。できることを精一杯、それがモットーなのだから。宣伝してる暇があったら、さっさと次の記事を書きやがれ。はい。すません。

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