底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

幸福と満足について

幸福と満足の違い

幸福と満足はどう違うのだろう。辞書で調べてみたら、どちらも「満ち足りていること」とあって、しばらく頭をひねった。満足は不満がないに言い換えることができる。不満はないが満足もしていないような状態は、定義の矛盾により考えられない。大いに満足しているか、不満を抱えているか、人生は常にそのどちらかで、大抵は誰しも大なり小なりの不満を抱えながら生きているであろう。一方で幸福の場合は、不幸でないとイコールにはなり得ない。特別幸福ではないが特別不幸でもないことは経験上往々にしてあるし、むしろそれこそが多くの人にとっての人生の常態であるはずだ。そう考えるなら、幸福と不幸は人生に訪れるイベントのようなものであり、満足と不満は人生全体に対する自分自身の態度だ、と言うことができるのではないか。




幸福と満足は逆

幸福は受動的なものだ、とこのブログでは何度か書いてきた。それは幸運によって与えられるものであり、自分の手で掴み取ることはできない。掴もうとすればするほどに幸福は遠のいていき、ゴールには決してたどり着けない。結果、いつまでもいつまでも幸福になれない自分が惨めにそこに残るだけである。比べて満足はその逆。与えられたもので人は満足できない。自分の手で掴んだのでないような満足は一時の刺激にこそなりはするが、長期的に見ればその刺激によって波ができ、慢性的な不満を引き起こしてしまう。結果、どこまでもどこまでも満足できない自分が憐れにそこに残るだけである。
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現実で交わる

人生に満足しているからといって、今が幸福であるとは限らない。今が幸福であるからといって、人生に満足するとは限らない。受動的な幸福と能動的な満足は極論あまり関係がないのだと思う。ただ現実では避けがたく交わる部分が多いだけである。不幸に満足できるほど、人は自分を見捨てられないし、幸福に不満を抱けるほど、人は高慢にはなれない。そうできたら受動的な幸福と不幸に振り回されず、人生はうんと楽になるのだけど、人である限りはきっと無理である。




理想と現実

とどのつまり、幸福になって人生に満足するのがよいのだろうか。それとも、人生に満足することによって幸福である方がよいのだろうか。前者は理想である。受動的に与えらた幸福に満足したまま一生を過ごす。こんなに恵まれた人生を歩める人がいるのかは分からないが、いたとしてもきっとほんの一握りだけだろう。後者は現実である。能動的に満足し日常の小さな幸福を噛み締める。前者に比べればだいぶ地味だが、地に足のついた、自分の力で歩んだ人生と言うことができる。前者には限りない強運が必要だが、後者は足るを知るだけでいい。うんまぁ、それが難しいのですけどね。