底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

成功と失敗と理由と運について

羨ましい

人生の成功者と言われるような人々がいる。今の時代で言えば圧倒的お金持ちがそうなのだろう。本屋に行けばいつでもそれに成る為の秘訣本がズラリと並べられており、およそどの本屋でも私の立ち寄る哲学のコーナーなんかより遥かに広い面積を占めている。えい羨ましい。こんなに成功者へのなり方があって、つまりはそのなり方に従えば「誰でも」成功者になれるのに、未だにこうした本が売れ続けるのか、なんて皮肉を言ってみたくなるくらい本当羨ましい。もっと哲学の本増やしてくれよ。




この世が悪い

成功することには理由がある。これ大概嘘なのではないか。そうでなければ、成功できないと燻っている人などいるはずはないのだから。成功できた人と成功できていない人との間に運という差しかない場合も大いにあるのだと思う。世の中は大変に理不尽である。同等の人事を尽くしたとして、同等の天命が降ってくるとは限らない。成功できた人の中には必ず「なぜか」成功できた人がいて、成功できていない人の中にも、きっと「なぜか」成功できていない人が存在している。あえて何かを悪いのと言うならば、それは平等ではないこの世が悪い。




成功と理由と運について

今現在自分が成功できていないのは、運が悪いからなのか、それとも単なる努力不足のせいなのか。この問題はひどく難しい。判別の仕様がないからだ。どこで自分を信じて切り上げるかという個人の問題であり、そこに客観的な基準はない。もちろんより多くの準備をした方が成功する確率は高くなるだろうが、結局はどこかで運の壁にぶち当たる。だから成功にはあまり理由はないと言ってもいいのではないか。成功できていない理由を考えるよりも、今日自分は努力しきったか。こちらを問う方がよっぽど有益である。しきったのならどんな結果であっても、もうどうしようもない、最善は尽くしたのだから。




失敗は

逆の失敗の場合も考えてみよう。失敗は今度は反対になるのではないか。失敗には大抵運は絡んでいないだろう。なぜ失敗するのかその多くは考えと準備の不足によっている。目の前にある一杯のコーヒーを零してしまうのだって運ではない。腕が当たるかもしれない、机が揺れるかもしれない。他様々な予測が足りていなかったからコーヒーは零れるに至ったのである。




現実は逆だ

成功には理由があって、失敗は運である。これは成功はしたいが失敗にはむきあいたくないという思いから発生したバイアスなのではないだろうか。成功は運で、失敗には理由がある。そのような現実は確かに見るに耐えないものだが、しかしどこまでも本当のことのようである。本屋にいつまでもあれだけの「成功の秘訣」が並んでいるのが何よりの証拠だろう。