底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

苦しみの原因は未来にあるかもしれない

未来のせい

今自分の抱えている苦しみが解決されないのは、未だ社会制度の充実がまだまだ不十分で、科学技術の発展がまだまだ途上にあるからだという見方もできるのではないか、とふと思った。つまりは私達が歴史を振り返って、昔はこんな理不尽が曲がり通るような残酷で不便な社会だったのか、と思うことがあるように、未来にある人類もきっと今の私達を見て同じことを感じるはずだろうという当たり前に今更初めて気がついたのである。今の自分にとっては生死を分けるような大問題でも、これからできる制度や技術によって簡単にそれが解決されるのかもしれない。目の前の現実を変える力はないが、苦しみに対する一つの見方としてこれは結構使えるのではないか。

 

 

苦しみは運

人はただ苦しむことはできない。苦しむことには必ず「なぜ」という疑問がついて回る。なぜ自分がこんな目に遭わなければいけないのか、納得できるだけの答えが見つからない時にこそ人は大きく苦しむのである。しかし本来苦しみの元になっているものは大概運であると言わざるを得ない。そこに自分が求めているようななぜの答えなどは、ないのが普通である。世界は最初から理不尽であり、最初から残酷で、そもそも人間の便宜のために存在しているわけではない。それが全ての苦しみに対する真実の答えであろう。だがそんなので人が納得できるはずはない。

 

 

自分の苦しみはどうだろう

だからこそ社会は少しずつ理不尽を解消する方向に、技術はより人の役に立つものをつくりあげる方向に、どんどんと進んでいる。苦しい思いをする人を減らせるように、救われる人をもっと増やせるように、世界はたまに後退しながらも、大きな流れとしてはきちんと前進しているのである。その前進がまだ自分の苦しみに届いていないだけかもしれない。今ある苦しみは全然生きることに「必ず伴う」ようなものではない可能性が非常に高いのである。

 

 

やがて

もしかしたら未来では簡単に解決できる。そう思うことは苦しみを解決するまでには至らないが、こんな制度がもしできたら、あんな技術がもし生まれたらと考えることによって、苦しみをピンポイントで見つめていけるようになるのである。そして一番のメリットは苦しみを誰かのせいにするなんていう更に自分が苦しくなる行為をしなくても済むようになることだ。端的にまだまだ時代が進んでいないのが悪いのであって、自分もその周りもみんなただ生きているだけである。原因は未来にある。解決されないのは今を生きる誰のせいでもない。その視点がやがて未来を変えることに繋がると思うのである。

f:id:kabiru8731:20220620053426j:image