底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

プライドは高低ではなく置き場所の問題

プライドは誰にでもある

プライドがないという人は存在しない。よくプライドが高いとかプライドがないとかといった様な言い方をされるが、プライドとはそういうものではない。有り処、つまりはどこにプライドを置いているのか、それが問題なのだ。人それぞれの間にある違いも高低ではなく、これである。高いとかないとかで言われている意味とは、他人によく見えるところにプライドがあるのか、他人にはほとんど見えないところにプライドがあるのかという違いに過ぎない。ないように見える人はいるけれど、ないということはあり得ない。自分自身を尊ぶ気持ちがあるからこそ、自分は存在できるのだから、自分が存在しているというそのことが、プライドがあることの証拠なのである。




プライドを置く場所

プライドが高すぎるように見える人はプライドを公共の場所に置いているのだ。誰でも出入りできるところなのに、それを自分の場所だと主張しているから高く見えてしまう。自分の場所として扱ってほしいと本人は主張するけれど、本来はあくまで公共の場所なので他人にそれを守る義務はない。だから衝突が起こりやすい。逆にプライドがないように見える人は、他人には入ることさえできないような私秘的な場所にプライドを置いているのである。だから争いは起こり得ないどころか、他人にはそのプライドを見てとることも叶わない。




プライドと自分を乖離させない

プライドをどこに置くのがベストなのか、それは何をベストとするのかという個人の価値観によって変わってくる。他人と競争するのが好きなら公共の場所に置いておいた方が良いし、ひとりでひっそり楽しみたいなら自分だけの秘密の場所に置いておくのが良いだろう。どちらにしろ、プライドにおいて大事なことはプライドに追いつこうとする気概を持つことである。公共の場所に置いている人は、そこを自分の場所と言い張れるだけの実力を身につけること、秘密の場所に置いている人はそれをより一層他人の手の届かぬところに隠すこと。とにかくプライドが独り歩きしないように、その後ろをしっかりとついて回ることが何より重要である。




プライドを示したいなら実力で、示したくないのならとことん隠す

明らかに相手に非があるような悪質な態度を除いて、それ以外でもし他人に自分のプライドが傷つけられたと思うことがあったなら、それは自分の実力が足りていないか、まだきちんと隠せていないかのどちらかである。プライドを公共の場所に置くのなら他人と実力で戦う覚悟を、逆に秘密の場所に置くのなら誰にも理解されなくてもいいという気概をしっかりと持っておくべきだ。というより、持てないのなら、そんなものはそもそもプライドとは呼べないのである。