底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分の人生の反対ってなんだろう

とにかく身の回りの色々な音がうるさくて煩わしいと感じたので、ノイズキャンセリング機能が搭載されたイヤホンを購入した。つけてみたらイヤ〜ホントに感動した。世界が忽ち静かになり、騒音によるストレスは一瞬にしてほぼほぼ全て解消されたと言ってもいい。なんだこんなことならもっと早く買っとけばよかった。あまりに感動したので、どういう仕組みなのかと気になり、軽くネットで調べてみたら、元の音波と真逆の音波を当てて音を打ち消しているのだそうな。え?音って打ち消せるの!?というところから私にはすごく驚きであった。今更ではあるが、改めて技術の進歩ってすごいなと。

 

 

身近な打ち消し

打ち消すということについて考える。何かとその何かの反対を衝突させることで、お互いが消える。これ身近にもある現象なのではないか。例えば、当たり前であるが何かを欲しいと思う気持ちは、その何かを与えられることによって癒えてなくなるであろう。与えられたそのものも欲した側の手中に収められると、与えるエネルギーを失い、ただの所有物となる。要するに需要と供給がピッタリ噛み合えば、それ以上の需要も供給も生まれることはないので、互いに消えるだろうという単純な話である。

 

 

抽象的なものは一発

人生において何かを欲しいと思う気持ちは止むことがない。それは人間の欲求が「今」に縛り付けられいるせいである。未来にある理想の自分を想像し、それに向けてコツコツと努力することはできても、未来に発生するであろう全ての睡眠欲をどこかで全部一挙に満たして、残りの人生は一分も眠らない、なんてことはどう足掻いても無理である。だから、欲求は絶えず「今」発生し続けるしかなく、人はそれをその都度その都度で「今」満たしていくしかない。でもこれは人間の生存に関わる基本的な欲求に限った話だ。欲求が肉体から離れれば離れるほど、つまりは精神的な欲求になればなるほど、一発で満たすことが可能になっていくだろう。それは欲求の対象が具体から抽象に変わっていくためだ。抽象的なものとは言わば概念であり、個体もなければ実体もないので、一度手に入れたらもうそこで需要は確実にストップする。そもそもどの概念も「一つ」しかないのだから、当然である。

 

 

どれ

さてではその抽象を更に抽象し、いよいよ抽象のゴール、言い換えれば精神の最上に行き着いた時、人は何を欲するのだろうか。それ一つで人生の全てが満たされるような、自分の人生の反対に位置していて、衝突させることで人生丸ごと消え失せるようなもの。うーんそんなのあれしかなくないか…?

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