底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

同じことは何度書いてもいい

同じことは何度書いてもいい

半分は本当に思っていて、もう半分は免罪符として、同じことは何度書いてもいいと私は思う。むしろブログとはある意味で同じものを書き続ける営みそのものであり、同じである中の小さな違いを楽しんでもらうことがそれぞれの記事の役目なのではないだろうか。例えば私のブログで言えばその同じは「その時の私の考え方と生き方」である。この枠がずれたことは一度たりともなく、私は今日までにひたすらその枠の中で「同じ」内容の記事を積み重ねてきただけだと言える。それでもやはり一つ一つの記事は違ったものになる。それはもちろん人生に同じ瞬間がないからだ。




またこの話ですごめんなさい

「またこの話か」と思われたくない、と思うことはあるが、それでも今事実としてまたその話を思ったのだもの、仕方ないよねという気持ちで記事を上げるようにしている。何度も自分の中にその話が立ち返るということは、それだけその話が私にとって重要であることを示していて、それだけ私の人生の核を占めていることを意味しているのだから、むしろ何度書いても足りないのであり、前書いたからもういいか、なんてことにはなり得ないのである。




人生でやっていることはずっと同じ

同じ話を手を替え品を替え書き続ける。私にとってブログとはそういうものである。このブログにはそれがよく出ているように思う。私がブログを通して言いたいことはとどのつまり「生まれるかどうかを選べず長くとも数十年で確実に終わるこの人生とは一体なんなのか」というそのことだけである。今までの全ての記事はこの問いを問う過程で生まれた結晶或いはゴミなのだ。それだけが私の人生においての考えるべきことであり、それを差し置いて考える必要のあることなど他に何もない。だから私はこれからも生きている限りはずっとそれを考えていくし、考えた結果をここに書き続ける。




できるだけ...

それでも読んでいる方からしたら飽きると言われたら、ごめんなさいとしか返す言葉がない。飽きないように表現などを都度大きく変えることには尽力していくつもりであるが、同じ話を二度書かないなんてことは私には無理だからである。なのでどうか飽きないでください。お願いします。なんでもします。嘘です。これからもこのブログには大した広がりのない同じよう内容の記事が並び続けることでしょう。今までのブログ記事からしてそれは既に明白であるように思う。でもどれだけ同じ内容であっても一言一句コピペしたのでない限りは、やはり違うものである。同じの中にあるその小さな違いをどうか楽しんで頂けたら幸いに存じます。(極力違うものになるように頑張ります...。)

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