底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

一日の締めくくりとしてブログを書く

今日は四時になってしまいました…

いよいよ深夜にブログを上げるのが定着してきた。零時回ってから書き始め、深夜の二時くらいに上げるのが日課になっている。要するに当日投稿に毎日間に合っていない状況が続いているのだ。日中に書く余裕がないのかと言えば、そういうわけではない。ただなんとなくこの時間にならないと書く気が起きないのである。期限ギリギリ或いは期限を過ぎてから何かに取り掛かるのは私の常なので、ブログの執筆も単にその性分に従ってそうなのだろうと思っていたけれど、少しだけ別の思いも混ざっていることに最近気が付いた。たぶん私はブログで一日の最後を締めくくりたいのだ。




いい意味でね

毎日に決まってすることがある。これ凄く満足をもたらしてくれる。おそらくこれさえしておけば、今日に思い残すことはもうないと思えるからであろう。毎日に決まってすることがあると、人生本当にこれでいいのか?などという問が顔を出す余地もなくなってくる。だってするべきこと、できることをしたのだから、本当にこれでよくないとしても、もうどうしようもない。毎日の習慣はいい意味で諦めによる満足を私にくれるのである。




お食事中の方はごめんなさい

ブログというのは言わば人生の排泄のようなものだ。少なくとも私はそういう意味で書いている節がある。だからブログの一言説明もわざわざ「肥溜め」と表記した。排泄とは身体の不要物を出すことなのだろう。このブログの記事は全部そうである。いらないものを出すのは、やはり一日の最後が一番よろしい。昼間なんかにしてしまうと、午後以降の分は明日に持ち越さなければならなくなる。その状態で眠りにつくのは私にとっては難しい。お腹が張ってる状態で快眠なんて、とてもじゃないが無理無理。スッキリ出し切って清々しい気持ちでないと眠れないよ。だたでさえ眠るのは苦手なのである。
shikouzakki.hatenablog.com




一日という単位がベスト

一日という区切りはとてもちょうどいい。それは一分にも一時間にも一ヶ月にも一年にもない良さを持っている。「今」はあまりに刹那的すぎる。だが時間や分には「今時間」「今分」なんていう概念がないし、今月や今年の方は長すぎて見通しを立てるのが困難である。「今日」がベストなのだ。人生全体から考えて何かやるべきことを割り振る時には、一日という単位が一番楽であるし実行もしやすい。「今日」の締めくくりとしてブログを書く、終わりよければ全てよしの気持ちを込めて。このまま死んだらそれでも人生に悔いは残るだろう。しかし、少なくとも今日の分のブログは書いた。それだけは確かな達成としてあの世に持っていけるはずである。

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