底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

抗えないものなのにそれを受け入れられない時の対処法

どうにもならないけど割り切れない

どれだけ死にたくなくとも、死は必ずやってくる。それはもうどうにもできない。老いることや病気なども同じで、どれだけそうなりたくなくとも、なる時はなってしまう。そのような自分の力ではどうにもできないものが人生にはたくさんある。いやたくさんあるどころか、ほとんどがそうだと言ってもいい。その抗えないものたちに対して人はどういった心持ちで向き合えばいいのか。左右できないから受け入れるしかないと頭では分かっていても、心はそう簡単に割り切れるものではない。死を恐れず、老いを嘆かず、病気を疎まず。理想的だが、現実に落とし込むのは至難の業である。

 

 

人間は生きるのが下手くそ

何かに対しての思いが現実を先行することは人間の常である。それができるかどうか、それに抗えるかどうかを考えるより前に、ついついどうしたいかで先に物事を判断してしまう。そうなると当然どこかでできない現実としたい思いが衝突し、そこに苦しみが生まれる。人生の大概の悩みはそうしてできている。死も老いも病気も来たる時が来たら絶対に抗えないのに、いちいちそれに対して、死にたくない歳をとりたくない病気になりたくないという邪魔な思いを抱く。知ることができないのに未来を心配したり、変えることができないのに過去を後悔したりすることも同じだ。人間は本当に身の丈に合った生き方をするのが下手くそである。

 

 

たった一つの恐れから始まっているのかも

できるできない抗える抗えないを先に考えられない原因はなんだろうかと考えると、たぶん「認められない自分になってしまう」というたった一つの恐れから来ているのではないかと思う。死はまぁ別としても、老いた自分を自分だと思いたくない、病気になった自分を受け入れられない。自分が自分でいられない未来があったらどうしよう。あの選択を間違えなければ自分はもっと自分でいられた。そういう思いが先に心を強く支配しているから、現実に靄がかかって視界が悪くなる。結果、なんとなくどうにもできないというぼんやりした輪郭だけは見えるけれど、心の底で深くそのことを実感するまでには至らなくなってしまう。

 

 

無理して大元の現実を見ようとしなくてもいい

恐れを消すことは酷く困難である。人間である限り誰にだって大事にしている自分のアイデンティティがある。それを失った自分さえも簡単に自分と認めるられるのなら、最初からそれを自分のアイデンティとして掲げたりはしない。ではどうしたらいいのか。一つの答えは、その恐れを抱いている方の現実は正しく認識することである。恐れに覆われている大元の現実はもう正しく見られなくても仕方ないと諦めて、自分が恐れでそれを覆っているのだという現実の方はきちんと見てあげる。そうすれば、苦しみに二度と出会わないということは無理でも、苦しみに無駄に苦しむことはなくなるはずである。だってもうその苦しみの原因を知っているのだから。

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