底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分の影響力を見くびってはいけない

自分はちっぽけ

世界からすれば自分なんて本当にちっぽけな存在である。宇宙から考え始めたらもはや存在していないも同じであるし、地球から考え始めても所詮は一種族の一個体に過ぎず、人間から考え始めたっておよそ八十億分の一にしかならない。過去も含めたらもっともっと矮小な存在である。そんな矮小な自分が何をしようと、どう生きようと、およそ世界には何ら影響がないのではないか。どんな一生を送ろうともせいぜいが周りの数人、多くて数十人にしか関係がないのだから、世界にとっての自分などという大それた視点は全く傲慢で必要ないのではないか。そう思うのも偏に理解できることである。

 

 

ちっぽけだけどでもゼロじゃない

しかし、どんなにちっぽけでも、その影響はやはりゼロではない。ちっぽけだからといって、その影響が全く無視できる程度のものなのかと言えば、そうとは限らないはずである。透明人間でもない限り、やはり周りに何かはまき散らしている。いいものも悪いものも、自分の言動を感じる受け手が存在している。どんなに微小ですぐ忘れ去られるのだとしても、「無」との差はやはり大きい。どんな人でもその人が人であるのなら、最低限人ひとり分の影響力は絶対に持っているのである。

 

 

世界まで想像を広げてみる

自分自身の行動に対して、あまり無責任になるべきではないと思う。ちっぽけな行動一つが後に大きな結果を巻き起こすことも十分に考えられることである。因果は人が思っているほど単純ではない。どの因とどの果が結びついているのか、本当のところは誰にも分からない。だからこそ、どんな小さなことでも甘く見てはいけない。自分がそうすることで、世界はどうなるのか、そのくらいにまで想像を広げて考えるのも案外大袈裟ではない。自分の生き方一つでもしかしたら…なんてことも大いに有り得るのだと想定しながら生きるのは全く傲慢ではないのである。むしろ自分一人分の影響力をよく自覚しているかっこいい生き方だと言える。

 

 

みんな違ってみんな影響し合う

一人一人が自分の影響力を考える時、世界には八十億の力が生まれる。一つ一つはちっぽけでも束になったらとんでもない数である。その八十億が一斉に同じ方向を向いたらと考えただけで、何かおぞましいような感じがあるのではないか。もちろん現実にはそんなことは有り得ないし、だからこそ世界は面白いと思うので個人的にはずっとこのままであって欲しいと願っている。みんながそれぞれに違うから、みんながみんなお互いに影響を与えることができる、みんながみんなお互いに感化される可能性を持つ。そうして世界は少しずつ変わっていくのである。

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