底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

迷惑はお互い様なのだから

迷惑の境目

迷惑はお互い様である。広義的に言えば迷惑をかけていない人は存在せず、存在しているだけで人は常に他人に迷惑をかけている。自分ひとりがいることで、満員電車は一人分余計にキツくなるし、食料は一人分多く必要だし、ゴミだって一人分増えてしまう。でも誰もそれを迷惑とはしない。なぜなら、みんなそうして生きていて、みんなそうして生きていかざるを得ないからである。この「そうして生きていかざるを得ない」がとても重要で、他人からその仕方なさを感じられるかどうかが、つまりは迷惑と思うかどうかの境目なのである。

 

 

迷惑の根源

電車やバスで赤ちゃんが大泣きしていても全然平気なのに、大声で喋っている人がいるとうるさく感じてイライラしてしまう。実際に耳に入ってくるボリュームに大差はなくとも、やはり前者は微笑ましく後者は鬱陶しい。なぜなら前者は「そうして生きていかざるを得ない」のに対して、後者は端的にそうしないこともできた(と思われる)からだ。そうしないこともできたのに、そうした。なぜ!意味不明!これこそが何かを迷惑に思う根源なのだ。もちろん実害が極端に大きいと単純に害であるそのことにおいて迷惑となるが、日常レベルの小さな迷惑はほとんどが相手の行為の真意が理解できないと思うところから始まっているのである。

 

 

迷惑の種類

故意や悪意で迷惑をかけてくる人は残念ながら世の中にたくさんいるだろう。自分自身もそういうことは人生で一度たりともしていないと胸を張って言えるほど立派に生きてきたわけじゃない。でも全部の迷惑がそうであるのではないはずだ。文化や価値観の違いで迷惑になると知らなかった、迷惑になると知っていたけど他に選択肢がなかった、というようなことも大いに有り得るし、誰にだって実際一つや二つそんな経験があるのではないだろうか。

 

 

自分の不理解が…

なぜ!意味不明!には故意や悪意のような常人には本当に理解しがたいものもあれば、相手の立場に立ってよくよく考えてみたら分かるようになるものもあるのだ。相手が悪いのではなくただ自分の不理解によって相手の行動が意味不明に映り、結果迷惑に感じてしまう場合もあるのである。もちろんそれは自分が悪いのでもないのだけど、でも自分が少し想像力を広げるだけで軋轢は防げるかもしれない。それにいつ自分が相手の側になるかも分からない。知らなかっただけなのに、他にどうしようもなかっただけなのに、迷惑だと糾弾される。こんな悲しいことはないであろう。迷惑はお互い様である。自分が「そうして生きていかざるを得ない」ように、目の前の人もただその見てくれが少し違うだけで自分と同じなのかもしれない、と一度よく想像してみたい。

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