底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

できないは信じてもらうしかない

理由とかなくてただできないことってあるよ

他人からは「ただすればいいだろ」と言われてしまう、本人にしかそのできなさが分からないようなことがある。本人にとっては確実にそこに越えられない壁が聳え立っているのだけど、他人には見えないので、往々にして「できないのではなくしたくないだけだろ」などと、本人の責任に帰されてしまうようなことである。これは偏に世界の構造が悪い。本人が嘘をついているのでもないし、他人が故意に責めているのでもない。そもそもの認識にズレが生じているために、噛み合わないのである。この場合、噛み合せるには他人がその人に合わせてそこに壁はあるのだと信じるしか方法はない。

 

 

他人には信じてもらいたいけど自分が信じるのは難しい

しかし、この信じることが果てしなく難しい。自分には容易くできてしまう上に、その人と自分の間に、できるできないに関係しそうな差異は認められないからだ。つまりなんでできないのかがどんな文脈からも説明され得ないのだ。され得ないのに信じなくてはいけない。だからこそ果てしなく難しい。気が緩むとついつい「したくないだけだろ」という見方に戻ってしまう。自分にも絶対そういうできないことはあるのに、そうなった時にはやはり他人に信じてもらいたいと思うのに、その一切を簡単に棚に上げてしまうのである。

 

 

意地が悪い

本人にとってはただ実在しているものが、他人にとっては実体のない観念となる。この構造本当に意地が悪い。しかも認識の齟齬を埋めるためには他人に信じてもらうしかないのも加えて意地が悪い。「ほら、これが私が感じているできなさだよ?ここに高い高い壁があるでしょ?」と実際に提示できたらどんなに世界の争いが減ることか。知らんけど。更にこの構造を逆手にとって嘘をつく人がいるのも、尚意地が悪い。嘘をついても本人以外には暴きようがないので、他人の善意による信仰をいとも簡単に利用できてしまう。その上、他人にとってはどこまでも本当である可能性が残るので、正当に非難することもできない。

shikouzakki.hatenablog.com

 

 

神様手抜き工事しましたよね

神様世界をつくるのに手を抜きすぎなんじゃないかと思う。まぁ人間の都合なんか知らんよという感じで作ったのでしょうけど、それにしたって杜撰すぎる。実在は実在、観念は観念。それで良かったのに、なんで人と人の間に認識の違いが生まれるようにしたんだよ。おかげでめちゃくちゃ複雑でめんどくさいことになってるし、争いも絶えないやんけ。もしや「必死に藻掻く人間の姿が見てぇ!」と思うような意地が悪い神様が故意にそうつくったのか。そうだとしたら世界に意地が悪いもので溢れているのも納得である。

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