底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

ブログは勢いに任せて出すべし

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自分のブログはまじまじと読むもんじゃないと思う。特に出来上がって出す直前なんか絶対にやってはいけない。こんな文章本当に出す価値あるか?と冷静な自分が必ず横切ってしまうからだ。読めば読むほどに、詰めが甘いと感じるところや言い回しが気に入らないなと思うところが増えていく。こんなものをネットに晒して、誰が得をするんだと書いた自分でさえその記事の価値を信じられなくなるのである。私的にはブログ記事は完全に勢いだ。勢いで書いて勢いで出すのでなければ、一つの記事もこのブログから生まれることはなかっただろう。

 

 

2

ブログには全くもって縛りは無いので誰しも自由に書きたいものを書いたらいいと思うが、一応のブログの立ち位置みたいなものはあると個人的には感じている。少なくとも「ネットに公開し不特定多数の人に読まれる」と、営利目的なものを除けば「自分が書きたいものを書いている」はどんなブログにおいても共通しているはずだから、その二つに基づいたブログの意味や価値のようなものがある程度言えるのではないかと思うのである。

 

 

3

ブログは日記とは違う。日記と違って他人に読まれることが前提にあるからだ。ただ今日起きた出来事を連ねるだけなら単に日記を書けば良い。それはブログの担う仕事ではない。ブログは専門書とも違う。突き詰められた論理や精緻な事実の羅列をブログに求めている人はきっといないだろう。たかがブログの一記事にそれをさせるのは無理難題である。ブログはニュースとも違う。世界や日本の今日の出来事を知りたいのなら、端的にテレビや新聞やネットニュースを覗けばいいのだから。それらのどれともブログは違うのだ。そんなどれとも違うブログだけに求められていること、それは偏に他人に読ませる価値がある(と思う)自分なりの考えや思いや視点を表すことなのではないだろうか。

 

 

4

だからやはりブログは勢いである。それらの文章の価値は、まだ自分が信じることによってでしか価値ではないからだ。自分だけが楽しめるものではダメであるが、他人にも楽しんでもらえる確証はしかしどこからも得られない。ただ価値があると信じて出すしかないのである。その信念が揺らがないうちにさっさと出さないと、どんどん出せなくなっていく。まじまじと読んでいるうちに信念はグラグラ揺らいでしまうのである。こんな記事ただの自己満ではないのか?もう世の中で私よりずっと上手に誰かが書いているのではないか?本当に意味があるのか?うーん、考えるのやめよ。今日も勢いで投稿投稿っと。

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