底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

お馴染みの書くことについての記事

いつの間にか変わってしまった

shikouzakki.hatenablog.comこんな記事を書いておいてなんですが、最近は夜に書くとどうしてもぐだってしまうので、試しに昼間にあげてみようと思う。ブログに休みが続いているのは、そのぐだぐだのせいである。決して私がサボっているのではない。この頃夜になると眠くて眠くてどうしようもなくなるのだもの。しょうがないですよね。ごめんなさい。頭にテーマがないとパソコンに向かってはいけない気がして、どんどん上げるのが遅くなっているので、その事態を上書きすべく今は気ままに指の勢いに任せてキーボードを打っております。そう言えば、ブログを始めたての時はいつもそうしていたような気がするのに、いつの間にか変わってしまいました。




未だに不安

変わってしまった心当たりはなくもない。ブログの文章は自分で考えたのだと言える安心感欲しさなのだと思う。だってもうすぐで三百記事にもなりそうなのに、未だにパソコンに向かっては書けるかなと不安になっているのですよ。毎日毎日あぁネタ切れだおしまいだ、もうブログは今日で終わるかもと心配している自分の不甲斐なさに少々の嫌気が差したために、せめてテーマだけでも自分の力で決められるようにと、そうなってしまったのだと思う。結果から言って逆に自分の首を絞めているので、本末転倒以外のなにものでもないが、でもこの書けるかな不安もいい加減に鬱陶しいのである。他に解消できそうな術を全く思いつけない。




決心だけはある

サイトが無くなるか、私が亡くなるか、そのどちらかになるまでは続けていく決心はほんの少しも揺るがないのだが、やはりこれでは毎日が息苦しい。まぁ人生とはある意味で常にそういうものなので、最終的には受け入れるしかないと悟りつつも、まだ藻掻いていたいという自分に付き合っているのが現状である。せめて毎日パソコンに向かう腰がもう少し軽くなればいいのにな。




もう少し軽くいこうね自分

文章を書くことをどうしても軽く見ることができない。それはやはり私にとって人生で大きな意味を持っているからである。例えそれがほとんど読まれることのないたった一つの小さなブログ記事であろうとも、自分の全力をもって挑みたい。文章は他のあらゆるものと比べて時間を超える力が遥かに大きい。だから記録であるにしろ、残しても恥ずかしくないもの、残していつかきちんと誰かの役に立つものだけを書きたい。そんな思いに縛られているために、どうしても気持ちも記事も重っ苦しくてなってしまう。一生ブログを続いていくためにも、これからは重さを一日で耐えられるほどにしておきたいな。今日の記事がそうなるためのターニングポイントであることを祈るばかりだ。

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