底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

隣人から考える理不尽

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新居に越してきて気づいたこと。隣人がくそうるせぇ。どうやら毎日夜中に熱唱するか、人と楽しく通話するのが趣味のようで、しきりに音楽の音と歌い声、高めの笑い声が聞こえてくる。こういう時のお役立ちアイテムとして、私はノイズキャンセリング機能搭載のイヤホンを持っているのだが、残念ながら自分は素直にそれをつけてはい解決!と済ませられるようなさっぱりした性格の持ち主ではない。こういう時の対処の仕方で、人間の本性が出ますね。私は確実に、相手が迷惑になる範囲の音出しをやめるか、それができないなら退去するか、の二択のどちらかにならないと気が済まないくらいにはねちっこいタイプだ。要するに私は隣人がくそうるせぇことだけを問題にしているのではないのだ。それが自分の迷惑になっていることも酷く気に食わないのである。相手にそれを知らしめたいし、その責任をもとってもらいたい。これは私ではなく、相手が変わることによって、初めて解決したと言える類の問題なのだ。




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自分は何も間違ったことをしていない。それなのに何かしらの害を被る。おかしい。それが理不尽という言葉の意味ではないだろうか。個人の利害の観点から言えば、理不尽に対する最も合理的な判断はたぶん、その理不尽から離れることだ。これ以上巻き込まれないようにそれを自分から遠ざけるのが最も手っ取り早く、かつ害を最小限にとどめておける手段である。そして、最も非合理的な判断はそれを我慢し続けることだ。自分の害が増えていくだけなのだからこれは当然であろう。その間にあるものとして、「理不尽に立ち向かう」が存在している。利害の合理性で言えば、我慢し続けるとは五十歩百歩くらいの差かな。基本いいことはない。むしろ、時には我慢するよりも悪い結果が待っていることさえある。だが、その分成功した時の利益は計り知れない。理不尽の最も望ましい解決とは、今後できるだけ自分の視界にそれを入れないことではなく、理不尽側の根本的消滅だろう。つまり世界から姿を消えてもらうことが、誰にとっても最も良いはずだ。この結果は理不尽に立ち向かうことでしか得られない。自分が理不尽から離れるだけでは、理不尽は永遠そこにあり続ける。




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ということで、明日にでも管理人さんに相談することにした。穏便に解決できるといいのだけど。そううまくはいかないような気がする。結局はなるようになるしかないので、なるようになるまで気長に待つしかないですね。