底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

個人にとっての気分の重要性を知る

気分は人生を左右する

気分ほど個人の人生を左右するものはないであろう。気分がよければもはやなんの心配事も大事ではなくなり、気分が悪ければもはや如何なる楽しみも色褪せる。気分がいいだけで多くのことに寛大であることができ、優しい心持ちでいられるが、気分が悪いだけで多くのことを介入させる余裕はなくなり、自分を守ることで精一杯になる。気分とは個人の生きやすさに深く関わるものであり、個人の幸福度にも大きく影響を及ぼす、決して蔑ろにしてはいけないものなのである。

 

 

嘘も方便

しかし他人や社会などがそこに加わると、直ちに気分はその本来の地位を失う。「気分が乗らないので行きません」などと言って誘いを断れば、間違いなく反感を買うであろう。「気分がいいから今日だけなら」などと言って誘いに応じるのも、端的に失礼に当たるだろう。自分にとってこれ以上ないくらいに重要である気分は、他人や社会にとっては単にとるにたらない、そんなもので他の物事にまで影響するなどは許されない些事なのである。人は常にこのバランスを上手くとって生きていかなければならない。自分にとっては至極重要であるという真実にも、他人や社会にとっては単なる些事であるという事実にも、どちらか一方に偏ることなく、時々は嘘をついたりなどして、自身を大きく犠牲にしない程度で気分に沿って、他人や社会と付き合っていく方法を模索していくしかない。

 

 

大変だよな

気分は実に様々なものに影響される。天気だったり、体調だったり、その日の運だったり、仕事の出来具合、様々な人間関係、悪いニュースやいい知らせ、とにかく一つの小さなことでも簡単に大きく変動する。それでも自己管理できる部分はもちろんある。睡眠時間を確保したりなどして体調を整えるのは個人ができる範囲の努力である。だが大部分はやはりコントロール不可なものだ。そんな外的なものにいちいち揺さぶられながら、我々は生きているのである。

 

 

持ちつ持たれつでいきたいですね

個人が自分の気分をできるだけ自分で整えていくのは前提として、その上で他人ができることはその想像なのだと思う。要因まで辿る必要はないが、目の前のこの人はもしかしたら今端的に気分が悪いのかもしれない、気分が悪いのにも関わらず放棄できない義務に縛られて、懸命に持ち堪えているのかもしれないと考えてみるのである。個人ができることは限られている。あとの分は他人や社会が思いやるしかないのだ。でなければ、社会を支えているところの個人そのものがどんどんと崩れ落ちていってしまう。「お互い気分に振り回されて大変ね」、そういう視点を我々一人一人が持つべきだと思うのである。

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