底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

まずは自分を大切にその次に正しさを守る

欲と感情と正しさ

人間の動力となるもの、それは欲と感情の二つである。この二つはきっちりと自分のコントロール下にあるわけではない。日常ではさほど問題にならないけれども、制御が利かない時はやはり往々にしてある。人はこの二つを無下にすることができない。無下にすればいずれ身体か精神のどこかが壊れていく。正しさの場合も例外ではない。その二つよりも正しさを優先することはだいぶ無理をきたすこととなる。人は普通その二つを大きく犠牲にしない程度の正しさにのみ従って生きている。現実において正しさとは所詮その程度の存在なのである。




欲と感情の前に正しさを置いてはいけない

正しさを欲と感情の前におくと、人は簡単に狂いだす。人はそんなに正しい生き物ではないからである。正しさに欲と感情が追いつかなくなって、どんどん乖離していくことになる。自己嫌悪や自己犠牲なんかはそういう時に生まれるものだ。正しくはこうするべきなのに自分にはそれができないなんて言い方をしてしまったり、無理に正しくあろうとして心身に支障をきたしたり、どんどん事態は悪い方へと進んでいく。はっきり言って、自己存在の上にある正しさなど少しも正しくないのである。もちろん自分が納得できるくらいの小さな我慢ならいい、それはむしろ社会を円滑にするために必要なことでもある。だが、自分がとてもとても辛い思いをしなければ従えないような正しさは、端的に正しさの方が正しくない(?)ということなので、そこら辺のゴミ箱にでも投げ捨てておけばいいのだ。




第一の正しさ

自分の欲と感情をできるだけ管理して健全に保っておく。それこそが各人が行うべき最初の正しさである。この第一の正しさを脅かしてくる他の正しさは如何なる場合においても無視すべきだ。なぜなら気にしても何もいいものを生まないからである。正しいことなのに自分にはそれができないと自己嫌悪に陥るか、無理に実行しようとして自己犠牲で心身共にボロボロになっていくか。そんな二択しか待ち受けてはいないのだから。




それは社会貢献でもある

自分の無理のない範囲で正しさを実行する。そう書くとだいぶかっこよさには欠けるが、一番堅実な生き方なのだ。欲と感情は無視したりできないのだから、そちらの方に合わせて生きていく他ないのである。それは間違っていることでもなければ、自己中心的であるのでもない。正しい社会とは個人を生かし個人を守りその願いを叶えるものである。自分の欲と感情を優先することは、その社会の実現に向けた個人ができることの第一歩である。だから大丈夫。まずは自分を大切に、その次に正しさを守って。