底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

自分が他人をそう思う時、他人も自分をそう思っている(かもしれない)

双方性の法則

自分が他人を嫌いだな〜と思う時、たぶん自分は既に他人に嫌われている。自分が他人を馬鹿だな〜と思う時、たぶん自分も既に他人に同じことを思われている。誰かにマイナスのイメージを抱く時、実際はどうあれ、この双方性の法則はだいたい働いていると思っておいた方が良いと個人的には思う。少なくとも「私は大丈夫」と根拠のない謎の自信から軽率に公言するのはおすすめしない。たいてい痛い目を見るからだ。他人に対する態度を心の中で抱く分には勝手だが、口にすればもう個人の自由というわけにはいかない。最低でもそれを口にした理由くらいは答えなくてはいけないだろう。言葉を言うのはタダではないのである。

 

 

しっぺ返しが待ってるだけ

shikouzakki.hatenablog.com

自分からはただの感想でも、他人からは評価と捉えられてしまう。以前書いたことである。プラスの感想ならまだいいが、マイナスの感想はそう受け入れられるものではない。特に人に対するものは「なぜわざわざそんなことを言うの?」と訝しがられるのが大概である。すごく仲のいい人と、ここだけの話として言うくらいは良いが、それ以上はもう責任が付きまとう。「なんかそう感じる」というのでは許してもらえない域に突入するのである。なぜ?の質問にきちんとした答えを用意する責任を果たせなければ、その感想は聞くに値しないものとして扱われ、「あなたも同じことを思われていますよ」としっぺ返しを喰らうのがオチである。

 

 

棚上げは許されない

自分のことを棚上げしてもいいのは、自分の心の中だけである。なぜなら、驚くことに他人にとって自分は特別ではないからだ。自分にしてみれば端的に思ったことを口にしただけでも、他人はその端的さを知らない。だから「なぜ」と問うてくる。しかし、感想なんてものにはそもそも理由はない。なぜって、そう感じるからとしか言いようがないのだけど、他人はそれでは納得してくれないのである。自身が言われていると感じるようなものなら尚更、なぜ私がそのように言われなければいけないのか、と他人は思うことだろう。

 

 

双方性の法則が働いているとしても言う価値があるものもある

「自分も既にそう思われている可能性があるしな」その一言を心の中で唱えてみるだけで、色々な言葉をそのまま口にする気は失せるのではないか。「それを言うならあなただって合戦」の引き金になるだけの言葉は心に仕舞っておくのが得策である。もちろん「そうではない!これは私がそう感じただけでなく、世界の真実だ!」というようなことであれば、ぜひとも声をあげるべきだ。それが世界の真実である確固たる証拠を用意したあとでね。

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