底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

八月になりましたね雑談

今日は章のタイトルはありません

八月になりましたね。特に言うことはありませんが、ブログのネタがないので、区切りとして雑談記事を書いていこうと思います。七月を振り返って言いたいことは一つ、休みすぎですね本当に。一周年を乗り越えてすっかり気がたるんでいるようです。ブログを書く意味などもあまり考えなくなり、ただ行動を決められたロボットかのように、作業でパソコンを叩く日々を送っております。いいことなのか、悪いことなのかは正直微妙なラインですね。

 

 

 

感覚もだいぶ鈍っているような気がします。以前と比べて突然の閃きや哲学的なことを考える機会はうーんと減ってしまいました。他の何に頭を使っているのかは分かりませんが、とにかく頭がポカーンとしている時間が多いです。一番の問題はそれに対して自分自身、あまり焦りを感じていないこと、もうこのままでもいいか、なんて思っている自分がちょこちょこと顔を覗かせています。絶対にいいはずないんですけど、心はもう離れているようです。

 

 

 

だから、八月からのブログがどうなるのか、自分でも全然分かっていません。今の気持ちを書くなら、ダルい、書きたくない、書くこともない、ですが、一時的な衝動だと信じたいところですね。死ぬまで続けるという意志はまだちゃんといます。ですがそれを支えてくれる自信がいつまでついて来てくれるかはもう私にもわかりません。なんせ思考をほとんどせず、労働と堕落の日々を繰り返しているので、今までと同じくらいのクオリティの記事をこれからもきちんと提供できるかどうかはとても怪しいですね。今までも別にそんな大したクオリティじゃなかっただろ?は言わないようにしてください。

 

 

 

周期的なものだと思いたい。この時期を乗り越えたらまた思考したい貪欲な自分が帰ってくると期待している。希望的観測かもしれないが、もう私に残されている道はそれしかないので仕方あるまい。思考の刺激になるようにと、読書の量を増やしたり、頭にあるものを即座に思考ノートにメモしたりと色々試しましたが、効果はなかったのです。

 

 

 

年齢的なものならあまり笑えないですね。生活になんら関係ないことを考える体力が徐々に減っていってるのだとしたら、こんなに悲しいことはない。八月からの私は一体どうなってしまうのでしょう。一日目からこんなんだと、明るい未来が全く想像できませんね。先が思いやられるたんぽっぽ。果たして自分の変化に柔軟に対応し、きちんとした一歩をまた踏み出せるのやら。

f:id:kabiru8731:20220802042533j:image