底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

何かをし始めるにはただする以外に道はない

思考し始めるために思考するということをしよう

思考できなくなったという記事を書いてからますます思考できなくなったような気がする。たぶんそう書いてしまったのが原因だ。物事の順序が自分の思っているのとは逆にできていることはこの世の常である。現実から言葉が語られているのではなく、言葉こそが往々にして現実をつくりあげてしまうものだ。だから語る言葉には本当に慎重にならなければいけないのだけど、まあその時の自分はそう思ってしまったから仕方ない。記録という名前のブログで正直に書かないわけにはいかない。だから、今からできることをしよう。思考する自分を取り戻すために私が今できること、その第一歩目はなんだろうかと思考できない頭で考えた。結論から言えば、それは「思考すること」である。

 

 

厳しい〜〜

結局やるしかないでしょ。できるためには~なんて甘っちょろいこと言ってないで、とにかくやる!もしくはやると決める!それだけが大事なのだ。何かをし始めるにはどうすればいいですか?なんて疑問の立て方がそもそも間違いだ。し始めるにはし始める以外にないのだから。ただし始めればそれでいいのである。分かりましたか?自分。あ、はい。

 

 

勘違いが人を分かつ

何かをし始めるのを逡巡してしまうのはきっと、自分なんかに上手くできるのかなという自信のなさが原因だ。でも、そもそも上手にできなくてはいけないなんてことはない。できる人しかやってはいけないということもない。ただ上手くできずにやっているのがちょっとカッコ悪く感じられるだけである。それも他人から見たらの話に過ぎない。自分にとって大切であるのはそれをやりたいか、やっている自分を好きになれそうか、楽しそうと思えるか、だ。思うに多くの場面で人を二分してしまうのがこの勘違いなのではないか。何かをし始めるとき、ただそれをし始められる人とそうでない人の間にある大きな差は、能力や環境ではなく上手にできなくてはいけないという思い込みだろう。だってほとんどの物事をし始めるのに必要になるのは、ただ自分の身一つであるのだから。

shikouzakki.hatenablog.com

 

 

この頃いつにも増して過去の記事を見返している

というわけで私の最近は、全く集中できない頭で、全く上手く考えられないなりに、少しずつでいいからというスタンスで、考える対象も決めることなく、とにかく気づいたら思考を始める毎日を送っている。まだまだすぐ気が散って別のことをしてしまうし、成果も全然得られていないが、しないよりはマシであるはずと思ってただ続けるようにしている。こんな時心の支えになってくれるのはこのブログの存在である。今まで考えた記録をここに残しておいてよかったと心底思う。ありがとう、過去の私。