底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

存在することを許して貰えない

全部全部自意識ってやつのせい

人生が苦しい。その一つの原因として生きている限り許されないということがあるのだと思う。何に許されていないのかは上手く言えないのだけど、とにかく存在することが許されていない、そんな感覚が常に付き纏っているために苦くて仕方ない。なぜ許されないのか。それは人間に自意識があるからだろう。自分は存在しているのだと認識できることによって、人は認識されている存在と、認識している自意識の二つに分かれてしまう。そのせいで、何が自分の本当なのかと絶えず問うたり問われるはめになるのである。だがそんな問いにゴールがあるわけもないので、結果生きている間、人は何が自分のありのままなのか、その答えを無くして彷徨い続けるしかなくなる。ありのままに存在することが許されない。これ人間の定めなり。

shikouzakki.hatenablog.com

 

 

自意識を意識できる自意識がない

世界はただ存在する。仮に神のような存在がいて、その神が世界をつくったのだとしても、世界に意味は生まれ得ない。神は世界の意味をつくれても神自身の存在意義は見いだせないからである。だからこの世に存在するあらゆるものもただ存在しているのだ。星や動物や植物、それら全てに存在する意味なんかありはしない。ただ世界はそうなっているから、そこにあるだけに過ぎない。人間とて同じである。同じであるはずなのだけど、しかし自意識はそれを認識させてくれないために、事態はややこしくなってしまう。自意識もただ存在しているという枠の中にあらざるを得ないのに、いやあらざるを得ないが故に、自意識の自意識を人は持つことはできない。だから自意識だけはいつも世界からはみ出して存在しているような気がしてしまうのだ。はみ出せるわけなどないのに。

 

 

許して貰えない

世界に入れて貰えない。身体は地に足をつけ生きているのに、自分もその身体にしっかりと入っているのに、私は世界の中にいない。許して欲しい。自意識から解放して欲しい。あれら他のもののように二つに分かれることなくただ存在していたい。しかしそれは叶わない。人にできることは許して貰えるように、自分の本当を見つける様々な虚しい努力を重ねていくだけである。死ぬ以外でこの自意識地獄から抜け出す方法はおそらくないのだろう。自意識の構造を理解し尽くしたとしても、実感を持でなければ意味はない。そして、それは人間である限りにおいて無理である。ただ存在しているのに、ただ存在しているということを自覚できないで、許されずに一生を終えなくてはいけない。悲しい生き物ですこと。

f:id:kabiru8731:20220310044207j:image