底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

余裕とは何か

知らんけど

人生は○○で決まる、のような謳い文句には得てして、それで決まるかどうかは本人によるだろと思う私であるが、一つだけこれは普遍的に誰にでも、どんな人生にでも当てはまるのではないかと考えているものがある。それはズバリ「余裕」だ。他の何があっても余裕がなけりゃ、人生はどうしても行き詰まるのではないだろうか。




余裕とは何か

余裕とはなんなのか。それはこっちがだめになってもあっちを行けばいいという逃げ道がある状態のことだろう。言い換えれば、今自分が歩んでいるこの道が紛れもない自分の手による選択であると思えることが、つまりは余裕があるというそのことなのである。いつでも引き返せる、いつでも別の道をいく用意ができている、この道は数ある選択肢の中の一つに過ぎない、他にいくらでも選べる。強制でもなく、追い込まれたのでもない、自分の意志でこれを選んでいるのだという思いがなければ、人生は必然的に息苦しいものにならざるを得ないのではないだろうか。




余裕は選択、選択は自分そのもの

余っているものは使われなければ端的に無駄だと思われることがある。確かに結果的に見ればそうかもしれない。だが選ぶ時にはそうではないと思う。もし余っているものがないのなら、人生はただの一本道に成り果てるだろう。それが仮にいくら「正解の道」だったとしても、単に真っ直ぐ辿るようにして歩くのでは、自分自身これでよかったのだとは絶対に思えないであろう。選択こそが自分の人生に確信をくれるのだ。大事なのは、どの選択肢が最も良い結果を招くのかではなく、他でもない「自分で」ある道を選んだのだという実感の方である。他の選択肢がなきゃそれは成り立たない。人生にはただ捨てられるだけの選択肢や万年補欠であるような選択肢が必要不可欠なのである。




人生丸ごとを余裕あるものにするには

できることなら、この人生丸ごと自分で選んだのだと思えたら最強である。そのためには生きているというそのことを自分の選択なのだと言えるのでなければならない。人は生まれるかどうかを選べないがしかし、死は選ぶことができる。だから「なぜ今死のうとしないのか」という問いなのである。そこに答えを与えていくことでしか、自分の意志で、自分の足で、人生を歩んでいるのだとすることはできないだろう。どんなくだらない結論でもいい。そこに自分なりの答えがあること、そしてだからそれを選ばずに自分は今こうして生きているのだと、そう言えるものがあるということが何より大事なのだ。人生における最大の余裕とはつまり、実は自分はいつでも死を選べたのであるが、しかし現に選んではこなかったのだと知ることなのである。
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