底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

成長しているから過去は恥ずかしい

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久しぶりに自分のブログページを一番下にまでスクロールして、一年前ブログを始めたての時の記事を読み返してみた。結論から言うと、恥ずかしくて死にたくなった。文体も書いている内容もまぁ恥ずかしい。なぜ当時の自分はこれで載せてもいいと思えたのか、全く理解できない。毎日必ず一つ投稿するという自分の中での縛りがなかったら、何本か密かに削除したい思いである。こんなものが未だにインターネットの海を漂っているのだと思うと本当気が気ではない。未来永劫、誰にも見つかりませんようにと心から祈るばかりである。

 

 

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昔の自分というのはかなり恥ずかしい。でもこれはたぶん昔の自分のせいではない。どんなブログ記事を執筆していたとしても、やはり今から見ると端的に恥ずかしいものになっていたのでかはないかと推察する。なぜなら「自分が成長しているからだ」。いや、うん、その実感は全くもってないのですけど、恥ずかしく思っている現状から考えると、そういう事が言えるかなと少し思っただけである。過去を振り返って、それを恥ずかしく思うのはつまり、今の自分ならもっと上手く振る舞える、もっと上手くやれると考えるからこそなのではないだろうか。

 

 

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昔の自分を自分と認めたくないくらいに、きっと私は「よくなっている」のである。過去の自分が今自認している自分の中身とはそれなりに違うものとなり、尚且つ今の自分の中身を本人が気に入っている場合、過去は必然的に恥ずかしいものとなる。恥ずかしく思えば思うほど、それは自分がよい方向に変わっているということの証拠なのである。だから逆に過去を誇ったり、過去を果てしなく美しいものと思うのなら、当然それは今の自分は過去の自分に劣っている、今の自分を自分だと認めたくないとの見方を自分自身でしているということなのである。

 

 

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きっと未来の自分から今を振り返った時にも、また同じように恥ずかしく思うに違いない。というか思っていて欲しいと思う。その限り私は自分が成長しているのだと分かる。いつか過去を振り返っても、その全てをただの「いい思い出」としか捉えられなくなった時には、私の人生もいよいよ最終フェーズに突入したのだと言えるだろう。できればそうなるのは死ぬまさにその瞬間だけがいいな。それまでは延々に成長したいと思う。延々に過去の自分を恥じていたいと思う。恥じることをバネにして、もっともっとよい記事をこの世に残したい。もっともっとよい自分になっていきたい。死ぬその時まで決して止まることなく。

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