底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

努力についての緩い雑談記事

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今日も相変わらず記事にできると思えるようなものが全然ない。最近はそういう流れなのかもしれない。こんな時私は自分の努力が足りていないと思う方だが、所詮は思うだけである。本当に努力しようという気持ちにはなれない。努力というのはつまり自分をよりよくするための行為であるから、それはいつも少しばかり現状の自分を否定する意味が含まれている。今の自分ではダメだぞ、今の自分ではまだ不足しているぞ。そう突きつけられることに耐えられる人だけが努力していくことができるのだ。現実を直視できない人にとっては極めて厳しい所行である。

 

 

2

努力すればするほど壊れていく。きっと私はそんなタイプである。努力したくない言い訳だろと言われれば返す言葉はない。以下は全てその言い訳である。今の自分というのは文字通り全てだ。今の自分があるからこそ、過去も未来も世界もあることができる。今の自分の実存があるから記憶というもので過去を思い返せるし、予測というもので未来に思いを馳せられる。世界を見たり聞いたり匂ったり触ったりしてその存在を確認することができる。実存がなくなるだけでその全部が失われる。そんな今の自分がダメで不足しているという時の意味を私はうまく汲み取れない。既に全てを包み込んでいるものをよりよくするとはさて何をするということなのだろうか。

 

 

3

未来の自分を思い描き、その自分になるために今の自分を多少否定する。私にはこれが酷い越権行為であるように思える。今まさにあるのは私であり、未来の自分などは今の私の存在に支えられてこそあることができるのに、逆に未来のために今の私があるかのように行為するとは何事か、本末転倒もいいところではないか。今の自分よりも重要で今の自分よりもよいものなんてありはしないだろう。だってそれは全てに唯一含まれずに、その全てを載せている土台なのだから。

 

 

4

しかしだからといって、未来など全く知らんというのではない。越権行為をせずその中で未来に思いを届けていくのである。即ちそれは祈りだ。未来の自分ではなく「未来における今の自分」に捧げるのである。現実を直視できないのなら、現実から目を背けたままでただ祈ればいい。祈ることで今の自分が「結果的に」変わることがある。私はそれを静かに待っている。変わらなければ変わらないでそれもまたよし。今の自分がある、やはりそれ以上に大事なことなどないのだから。ネタがなくてもいいのです。とにかく毎日書き続ける、それが私の尽くすべき人事である。

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