底辺人間記録

底辺人間の行き場なき思考の肥溜め

人生から苦しみをなくすには

そうじゃないんだよ

人生から苦しみをなくすには、人生そのものをなくしてしまうのが最も手っ取り早い。けど、こんな答えはたぶん誰も求めていない。きっと「そうじゃないんだよ」と言いたくなるはず。でもやっぱりそれが最も手っ取り早く且つ最も効果的であるのは疑いようがない。心情的にどうあれ、この結論は動かしがたいものである。でもやっぱりそうじゃないんだよ。だってそれじゃ意味がないから。人生まで消えてしまったら、苦しみがなくなった!と感じとれる自分もいなくなってしまうのだから。そうじゃなくて、苦しみだけ人生から消えて欲しいんだ。

 

 

人生-苦しみ=?

そうすると、人生の中でその方法を模索して行く他はない。だがどんなに色々試しても、きっとせいぜいちょっと気持ちが楽になったりする程度で根本は変わらないと思う。だって苦しみのない人生ってなんだか、砂糖のないべっこう飴のような響きなんだもの。苦しみがなかったら、もはや人生は人生とは呼べないだろう。ありありとした苦しみがあって、その重みを背負っているから人生は人生なのである。重みを失えば、人生はもうただ画面向こうにあるようなテレビゲームと同じになってしまう。そうなれば、喜びや幸せも自分自身の存在とは一線引かれたような味気ないものになるだろう。

 

 

個人的に怖いので却下

でもきっとそれでも死ぬまで色々試すしかないんだと思う。ちょっと気持ちが楽になったりすることも、死ぬまで積み重ねたのなら、それなりの小山くらいにはなっているんじゃないかな。人生の根本は変えられなかったとしても、その小山にはそれなりの価値があるんじゃないかな。知らんけど。本当は「苦しみは人生には不可欠なスパイスだから、さあどんとこい!」くらいに構えられるのが一番いいのかもしれないけど、でもそれはちょっと人間味がないというか、頭のネジが何本か飛んでそうで怖いので却下。

 

 

やっぱりそうじゃないんだよ

苦しみと人生はやはり表裏一体。苦しみがあるからこそ人生は人生なのであり、一つの人生があればそこには必然的に苦しみも一緒に生じることになる。苦しみは自分自身の個性だと言ってもいい。喜びや幸せは他人と似たり寄ったりなものが多いけれど、苦しみだけは必ず自分固有のものである。なぜなら苦しみは自分の存在に付帯するもので、人生のどれかの内容に付帯しているものではないから。だからこそ、その苦しみは他人には決して理解できないのだし、死ぬまで決して癒えることがないのである。やはりどう考えても、人生そのものをなくしてしまうのが最も手っ取り早い。でも、やっぱりそうじゃないだよ。

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